第112回目(1/4) 岡井 浄幸 先生 一般社団法人 嘉祥流観相学会

不思議と外の人と関わる立場になることが多かったのです。

今回のインタビューは、一般社団法人 嘉祥流観相学会の岡井 浄幸(おかい じょうこう)先生です。


岡井先生は、顔つきからその人の性格やあり方を読み解く「嘉祥流観相学」を通じて、人生を輝かせる生き方や考え方を多くの方に指南されています。

「グッド!モーニング(テレビ朝日)」などのテレビ番組、ラジオ、雑誌などにも出演されていて、岡井先生の指南を受けられた有名人も多数おられます。

岡井先生ご自身は、もともと観相学に興味があって学び始めたわけでなく、数奇なご縁があって今のお仕事をされているとのこと。

お話を伺うと、いかに周りの方とのご縁、そしてご自身の巡り合わせを大切にされてきたのかが良くわかります。

今のお仕事に至るまでの経緯と、顔と人生の関係をひも解く観相学について、そしてこれからの取組みについて伺いました。

インタビュー写真

◆子どもの頃は、どのように過ごされていたのですか?

香川県の小豆島で生まれまして、高校までは地元にいました。

父が外国航路の船乗りだったのです。

外国に行くと短くて3か月、長ければ1年近く世界を回っていたので、まるで母子家庭のようでした。

船が戻ってくると、日本の各地の港に寄港するのですが、父はエンジニアなので家までは戻ってこられないのです。

だから母とか祖母に連れられて、神戸とか、横浜とか、若狭湾とか、北海道とか、いろんな港に行きました。

そんな子ども時代を過ごしたので、遠くに行くことは全く抵抗がなかったですね。

でも学校では消極的で、授業では手もあげられないような、声をかけられても喋れないような子でした。

最初は、神経質で給食が食べられませんでした。

みんなが食器を触っていたり、ホコリが入っったりする所がダメで、幼稚園に入った時は、ご飯が食べれないとか、胃がどうのということで、癌の疑いがあるんじゃないかと言われて、小児がんセンターに行って検査をしたら、いや全く全然大丈夫ですと言われたことがありました。

◆中学、高校時代にどのように過ごしていましたか?

中学は吹奏楽で、サックスフォーンをやっていて、高校に入ってちょっと運動もやりたいと思って軟式テニスをやっていました。

高校時代に、家庭科の先生達が組織している「家庭クラブ」という会がありまして、香川県が代表校になった時に私が役員をすることになりました。

それがきっかけで家庭科の先生からよく面倒を見てもらえるようになりました。

私自身は文系は全くダメで、それで家庭科の先生から「家政学部だったら、半分理系なのでいいんじゃなの」と言われて、それで関西と東京の大学を受験したのです。

関西の大学の問題はちょっと私に合わなかったみたいで、東京の大学に受かってしまって、それで東京に行くことになりました。

◆家事などは得意だったのですか?

ご飯とかお洗濯とか、お恥ずかしながら全くできなくて、家政学部に入っちゃったから親が「出来ないのに大丈夫?」と心配していたぐらいです。

高校の家庭科の先生のお嬢さんが、世田谷区の三軒茶屋の一軒家に一人暮らしをされていて「心配だからうちの娘と一緒に住んだらどうか」と先生から強く勧められて、先生のお嬢さんと3年間同居したのです。

家でほんと何もできていなかったから、ご飯の炊き方から、洗濯の仕方から、全部お嬢さんに教わりました。

本当に大変で・・・はじめの4月・5月の連休では、実家に帰った時に凄い泣いちゃって、もう家を出て寮に入ろうかなとまで考えました。

でも恩師のお嬢さんなので、そんなことしたら、田舎だから噂がすぐ広がって「あそこの娘さんは、1か月も持たないでお嬢さんのところを出た」と言われる方が逆に辛いなっと思って、気持ちを切り替えて頑張ることにしました。

◆大学生活はいかがでしたか?

マンドリンクラブというオーケストラのクラブでクラシックギターを担当していました。

そして他の大学のマンドリンクラブと、楽器の貸し借りをしたり、楽譜を融通し合ったり、そういった外交とか広報を担当する役員を務めていました。

その前に、大学の入学式の時のクラブやサークルの勧誘の時にアンケートを書かされて、1ヶ月ぐらいしてから「大学のミス、ミスターを選ぶコンテストに応募しませんか?」という電話がかかってきました。

コンテストの事務局に行って詳しく話を聞いたら、自分の生活信条を書く欄に「人のためになるようなことをやりたい」って一言書いていたのが選ばれた理由だったそうです。

応募は断ったのですが「それでは、スタッフとして参加しませんか?」と誘われました。

スタッフは3年生4年生ばかりで、1年生はいなかったのですが、私の大学の先輩がものすごく可愛がってくれて、手伝うことになったのです。

協賛に日本航空などの企業がついて、ホテルニューオータニでコンテストが行われまして、「学生らしく」ということで男性の先輩と一緒に私が司会を務めることになりました。

マンドリンクラブの時もそうなのですが、不思議と外の人と関わる立場になることが多かったです。




インタビュー写真


◆卒業後は、どのような道に進まれたのですか?

三軒茶屋の一軒家では、恩師のお嬢さんと3年間一緒に住んでいたのですが、お嬢さんが結婚で引っ越しをされたので、4年目は一人で暮らしていました。

卒業後は、4歳年下の妹がいたので、妹の進学に合わせて、彼女と一緒に住もうと考えていました。

たまたま東京の短大に受かったので、そのまま三軒茶屋の一軒家に住むことになったのです。

妹の進学に合わせて、彼女が大阪の学校に受かったら大阪に引っ越そうなんて考えていたので、就職活動はせずに当時はアルバイトをしていました。

そうしたところ、卒業した翌月の4月に入って1週間ぐらいしてから、大学の教授から「あなた就職していなかったわよね」と電話がかかってきました。

話を聞くと、明治乳業の研究所に就職先として推薦枠があるのだけれど、採用が決まっていた1人が辞退してしまったので、行ってもらえないか?と言われました。

土曜日の午前中に面接があって、家に帰ったらすぐに電話があって、採用が決まりました。

食べ物を扱う研究所なので、白衣やシューズのサイズを訊かれて、2日後の月曜日の朝から出社することになりました。

その頃は、もう4月に入ってからしばらく経っていたので、同期は新入社員研修を受けて配属されていたのですが、私は研修無しで配属されました。

◆最初はどのような仕事をされていたのですか?

研究所の図書館のようなところで、文献を探しに来た研究者に必要な文献を探して渡してあげる仕事です。

今のように検索してすぐに出てくる時代ではなく、私も経験がなかったので図書館情報大学などに行って教えてもらったりしていました。

研究所内の人がみんな資料を探しに来るところだったので、いつの間にかみんなに顔を覚えてもらえて、ずいぶんと可愛がってもらいました。

そしてもう何十年も勤めている先輩の女子社員に「あなた、研修を受けていないでしょ」と言われ、特別に研修の資料などをもらったりして、いろいろと教えてもらいました。

妹が短大に2年間行ったあと、大阪の石油会社に就職をすることになっていて、私も仕事を辞めて大阪に行こうと思っていました。

なので、会社には2年後には辞めますとあらかじめ伝えていました。

ところが会社を辞めるタイミングで、学生時代のコンテストをしていた時の先輩から電話がかかってきて、文部科学省の外郭団体のシンクタンクに来て仕事を手伝ってくれないかといわれました。

しばらくならいいかと思って引き受けたのですが、茨城県の筑波に本部があって、東京にも事務所があって、私は東京での採用だったはずが本部で欠員が出て、筑波の仕事もすることになりました。

◆シンクタンクでは、どのようなお仕事をされていたのですか?

ちょうど「つくば科学博」が開催された年で、いろんな国から研究者や要職のお客様をお招きする仕事だったり、経団連の会長がシンクタンクの会長も勤めていたので、経団連の方や関係者のお手伝いをする仕事でした。

当時、シンクタンクの基金が底をつきかけていたので、一生懸命に頑張ってお手伝いをしていたところ、東京の事務所を任されることになってしまいました。

その時に上司だった、出向で来ていた部長が癌になってしまって、信濃町の病院に入院してしまいました。

それを公表することができなかったので、朝と夕方に病院に行って、指示をもらって仕事をしていました。

そうしたところ、仕事を全部覚えてしまいまして、大阪に行くつもりが引っ越しもできなくなってしまい、結局そのまま東京に残りました。

経団連の会長や、大手企業の会長職の人とやり取りすることが多くありまして、私は一回見たら人の顔や名前を覚えるのが得意だったので、「小林会長でしたよね」というように2回目に会った時に名前を言うと、その後にとても親しく接してくださる方が多かったです。

10数年そちらに勤めたあと、環境省の外郭団体に行って1年間勤めました。

その時に仕事でお付き合いのあった民間の会社から「人が足りないから来てくれないか」と言われて、転職したのです。




(次回につづく・・)

岡井 浄幸(おかい じょうこう)   一般社団法人 嘉祥流観相学会

香川県小豆島生まれ。
明治乳業中央研究所、財団法人国際科学振興財団などを経て、2006年より「嘉祥流観相学会」導主である藤木相元師に師事し、修行開始。高野山真言宗にて在家得度。
現在、一般社団法人嘉祥流観相学会代表理事として、顔相学、姓名学、開運メイクなどのアドバイス及び観相士、学士、導師を養成中

<岡井浄幸先生のホームページ>
 
一般社団法人 嘉祥流観相学会

<岡井浄幸先生の著書>
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眉を変えるだけで運命が変えられる


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異常に! 当たる 顔相学


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男は見かけで選びなさい



インタビュアー:石坂育仁(いしさかやすひと)

石坂育仁

北海道及び山梨県の中小企業向けに事業承継支援及び
後継者教育支援に取組む経営コンサルタント。
一般個人向けには、「気付き」をテーマに「マインドマップ」
及び「呼吸法」の講座を行っています。
中小企業診断士、社会保険労務士

HP:『人と企業に新しい気付きを』
発行メルマガ:『理想のあなたへの「気付き」』


インタビュアー:京牟禮彩(きょうむれあや)

京牟禮彩

つらいなぁという時、不安だなぁという思いは、誰のなかにもあるのもです。
「日常における様々な悩み」「生きていく上での不安」を大切にしながら
よりイキイキと生きていくためのお手伝いを行っています。
カウンセリングや呼吸法レクシャーを中心に活動中。

臨床心理士 ブレスプレゼンター(呼吸法講師)


インタビュアー:倉橋竜哉(くらはしたつや 日本メンタルサービス研究所 代表理事)

倉橋竜哉

アイネスト株式会社、日本マイブレス協会の代表を務める。
日本マイブレス協会では、ブレスつまり息をコントロールする
「呼吸法」を通じてココロの穏やかさとカラダの健やかさを
お伝えする講師の養成を行っています。

HP:日本マイブレス協会
著書:「呼吸で心を整える」 「呼吸を変えると、人生は良くなる」
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