第111回目(1/4) 光田 秀 先生 NPO法人日本エドガー・ケイシーセンター

彼の本との出会いで私は救われました。

今回のインタビューは、NPO法人日本エドガー・ケイシーセンターの光田 秀(みつだ しげる)先生です。


光田先生は、20世紀最大の奇跡の人と言われた「エドガー・ケイシー」の研究と、その成果の発信をされています。

エドガー・ケイシー(Edgar Cayce 1877年-1945年)は、アメリカの傑出した透視能力者でした。催眠状態に入った状態でさまざまな透視を行いましたが、特に有名なのは、現代医療でも治癒が困難な病気の治療法を数多く与えたことです。ケイシーが催眠状態でもたらす情報を後に「リーディング」と呼ぶようになりました。

ケイシーは自分の口を通して与えられるリーディングを記録として残すことにし、光田先生は現在その翻訳と分析をされています。

どのような経緯でエドガー・ケイシーに出会い、研究を重ねて来られたのか、光田先生ご自身の人生がどのように変化されたのか語っていただきました。

インタビュー写真

◆どのような子ども時代を過ごされましたか?

父が筋金入の唯物論者でして、小さい頃から唯物論を叩き込まれました。

「人間というのは肉体としての存在がすべてだ。霊魂はないし、神も仏もない。生きている間だけがすべてであって、死んだら無になるんだ」という人生観の中で育てられました。

例えば、私が心霊もののテレビ番組を見ていると、父はすごい剣幕で怒り出して「霊魂なんか存在するわけがない。いるのだったらここに出してみろ。神がいるんだったらなぜ世の中はこんなに混沌としているんだ、不幸な人がいるじゃないか、これは神がいない証拠だ」と言っていましたね。

私の父が唯物論者になったのには理由があります。

14歳で満州に送られて満州開拓義勇団というところに入って炭を焼いたり、鉄道の枕木を作ったりとか、レンガを作ることに従事させられました。

終戦時は17歳だったのですが、すぐに日本には帰れなくて、そのままソ連のシベリアに抑留され強制労働をさせられました。

食事の量がものすごく少なかったので、そのうちに家畜の飼料を食べるようになったそうです。

でもそうすると家畜が死ぬようになり、家畜が死ぬのを見てロシア兵がどうも日本人が家畜の飼料を食べているらしいとバレるのです。

家畜の飼料の見張り番が立つとまた日本人が死ぬようになるような過酷な食事だったそうなのです。

そして寝ている間に誰かが死ぬと、朝にはカチカチに凍っていて、死体をリアカーに積んで運ばされたと言っていました。

そんな環境で徹底的にマルクス・レーニン主義を仕込まれ、覚えるまで日本に帰してもらうことができませんでした。

私の父は、4年経って日本に帰ることができたのですが、当時シベリアから帰ってきた人は「アカ」だと言われ日本の社会では嫌われました。

なのでどこにも就職先がなく、父は満州とシベリアで習い覚えた炭焼きを始めたそうです。

そのうち炭焼きでは生計が立たなくなり、材木業を始めました。

僕が小さい頃から父に唯物論を叩き込まれたのには、そういった背景がありました。

◆お父さんのことで印象に残っている出来事はありますか?

私の父は筋金入の唯物論者なので、お墓参りに行きませんし、お葬式にも行きませんでした。

「霊魂はないのに、ないものに戒名をつけてお金をふんだくるなんて、お坊さんは詐欺師だ」と言っていました。

家の近くにお寺があって、時々法事をしているのですが、車に乗ってお寺の前を通った時に父が指を指してこう言うのです。

「あそこを見てごらん。バカが集まっている。霊魂はないって科学的に証明されているのに、拝んで集まってるバカがいるよ」と。

知り合いが亡くなっても父は葬式に出ないので、母が代わりに行っていました。

父の父、つまり僕の祖父が死んだときも葬式に行かず、山に木を伐りに行っていたのです。

祖父が亡くなって1週間ぐらいして、家族でご飯を食べている時に何かのついでのような感じで「おじいさん死んだよ」と言われて僕は初めて知りました。

ボクのおじいさんって、あなたのお父さんでしょ、と思いましたね。

私の父は長男でしたので、普通だったらお葬式に行ってご挨拶をしなくてはいけないのに何もしません。

「死んだ者はもう死んでいない。霊魂はないから行っても仕方がない」そう言って普通に仕事をしているのです。

さすがに顰蹙(ひんしゅく)をかったらしくて、親戚中からいろいろ言われたようでして、父の母が亡くなった時にはお葬式をしまして、喪主の挨拶をしていました。

でも、その時ぐらいですよ、父がお葬式に出たのは。

それぐらい徹底していて「霊魂はいないんだから、そんなものは無駄なんだ」と思想に殉じていましたね。

その徹底ぶりが私にも遺伝したんだと思います。

◆お父さんの考え方が、光田先生の少年時代にどう影響しましたか?

僕は小学校の頃から天体観測が好きでした。

宇宙ってものすごく大きくて、その中に小さい銀河系があり、小さい銀河系の中のさらに端っこにあるのが太陽系、その太陽系の中の3番目のほとんど目に見えないような地球、その地球の表面で一生懸命蠢いているちっぽけな僕は一体どういう価値があるんだろう・・・そんなことを考えていました。

どう考えても僕には本質的な存在価値は無さそうだと思うのです。

僕に価値が無いってことは、けっきょく誰にも価値がなく、人間そのものや、他の生命にも価値がないと思っていました。

小学校を卒業し、中学に入るあたりから「もし自分の人生が肉体の死によって一切消えてしまうのならば、私は何のために生きているのだろうか?」と考えるようになりました。

高校に入った頃は、ほとんど病的にそんなことばかり考えていました。

どうせ死んだら無だよ、焼かれてゼロだよ、それではなぜ一生懸命に生きるの?と。

父は、僕に唯物論を刷り込みながら、その一方で東京大学の法学部を目指しなさい、それ以外は行く価値が無いと言っていました。

たぶん父自身が東大法学部に行きたかったのに、14歳で満州に行かされてしまったからだと思います。

でも、人間は死んだらそれっきりと言いつつ、東大法学部を目指せ、それが素晴らしい生き方だというのには矛盾があるでしょう。

自分の人生に本質的意味がないと知りながら、苦労して生きなければならない。この疑問を解決できなくて、高校の倫社の先生に「なぜ生きているのかがわかりません」と聞いたことがあります。

すると倫理の先生から「そういう時にはデカンショ・・・つまりデカルト、カント、ショーペンハウエルを読みなさい」と言われました。

それを読めば生きる意味が分かるのかと思って、純粋にデカンショを読み始めました。

デカルトとショーペンハウエルは読めました。

でも肝心のカントは、冒頭から書いてあることの意味がわからず、まったく読めませんでした。

◆どうやってカントを理解しようとしたのですか?

きっとカントを読むためには、それ以前の哲学を理解する必要があるに違いないと思って、高校の図書館にあった「世界思想全集 全30巻」を第1巻から読むことにしました。

ソクラテス、プラトン、アリストテレスからずっと読み始めました。

あの頃の人達は霊魂を認めていますが、僕は霊魂が出てきた段階でアウトです。

「あっ、この哲学は駄目だ」と思ってしまう。

デカルトだって霊魂は出てきますし、実際にはカントにも霊魂や神が出てきます。

最終的に実存哲学などの現代の哲学も読みまして、最後に読んだのがバートランド・ラッセルでした。




インタビュー写真


◆ラッセルの本には、どんなことが書いてあったのですか?

ラッセルはこう言うんですよ。

「人間というのは、結局のところ原子分子が偶然に結合してできた有機物に過ぎない」と。

僕も「やっぱりそうか」と思いました。

どれほど偉大なことをしようと、人間の死を越えてそれを引き継ぐことはできない。

仮りに人類そのものに価値があったとしても、どのみち太陽系はいつか滅びる、燃えてなくなる、宇宙の屑となって消えてしまう。

どれほどあがいても、人間には最終的な価値はない。

なので人間は自分に価値がないという絶望を知りながら生きるしかない、それがラッセルの結論だったのです。

小学校の天体観測で僕が感じていたことにつながりました。

なんでちっぽけなところに生きている私が、あくせく受験勉強しなきゃいけないんだろう、と。

宇宙は大きい、その中で自分の存在は絶望的に小さい。

宇宙の歴史は長い、その中で私の人生は儚い(はかない)。

空間的、そして時間的な2つの絶望で「やはり僕の人生は意味がない」そう思って高校時代からだんだんと遺書を書き始めました。

◆遺書ですか・・・どんなきっかけで書かれたのですか?

僕の頭の中で決着がついたので、死ぬつもりで書きました。

人間に本質的な存在価値はなく、肉体の生がすべてであって、肉体の死とともに私が宇宙から痕跡を残さず消えるのであれば、私など、もともといなかったに等しいのです。

いてもいなくても同じで、僕が自殺したらうちのお父さんお母さんは、しばらくは嘆くかもしれないけれど、お父さんお母さんだって数十年もすれば死んでしまう。

何もない。元々何もなかった。だから「無」に戻るだけと思っていました。

父の言う、東大法学部を受験するということも苦痛でしたね。

ノイローゼのようになって、とても苦しい日々でした。

何か楽しいことがあっても、これはかりそめにすぎないと思ってしまうのです。

そもそも人間には本質的な価値がない。この宇宙にも何ら本質的な価値はない。どうせ本質的な価値がないのならば、そのまま無になったほうがいいと思って遺書を書き始めました。

その頃出ていたいろんな人たちの遺書の本を読んで自分なりに綺麗な遺書を書こうと思って書きました。

二日に一通くらいのペースで遺書を書きましたね。

◆そんなにも・・・書いた遺書はどうされたのですか?

「お父さんお母さんありがとうございました」みたいな感じで、なかなかいい遺書ができず、これは駄目だと思って何度もボツにしました。

でも、二通だけうまくできたのがあったので、それを綺麗な字で便箋に清書して、一通は天井の裏に、もう一通は勉強に使っていた電気スタンドを分解して、その中に隠しました。

なぜそこに隠したのかというと、ちょっとせこい考え方だったですけどね、その頃自殺ってわかると保険金があまりおりなかったのです。

なので、見た目には事故死みたいな感じで死んで、保険金がおりたあとで何年か経って時効が成立した後で、電気スタンドが壊れたり、家を解体する時にその遺書が出れば父と母には読んでもらえるのでいいかなと思って、仕込みました。

◆大学進学はどうされたのですか?

父からは東大法学部に行きなさいと言われ、山口県出身の母からは、山口大の医学部もいいんじゃないかと言われていました。

その頃は生きる気力がなかったので「なんで僕が医者にならんといかんの?人生に意味がないと思っているボクが何で人の命を救うの?僕が医者になったら、一緒に死にませんかって言いますよ。そんな病気治さんでいいですから、良かったら僕と一緒に死にませんか。折角ですからそのまま死にましょうよと言う医者になるよ」って言いました。

父には「なんで僕が東大法学部に行って弁護士にならんといかんの?人生に意味がないって思っているから、騙されたっていいじゃないですか、訴える必要ないですよ。一緒に死にましょうって言いますよ」と言いました。

僕がその当時唯一行きたいと思ったのが京大の哲学科でした。

もし僕の人生に意味があるのであれば哲学者が既に解決しているかもしれない。哲学を学べばわかるかもしれない、と思っていました。

それで高校三年生の時に文系クラスに入ったのです。

◆ご両親は納得されたのですか?

母はちょっと落胆していましたけれど、文系に行ったらお父さんもとりあえず法学部を目指してるかなと思うじゃないですか。

ところが、学校の先生が中間試験の直前に家に来て「おたくの息子さんは文系は向いていません。社会の点数がとても悪い、数学や理科はとてもできているのに、なぜ文系なんですか?今のうちに理系に変えたほうがいいですよ」と先生に説得されて、法学部を勧めていた父も「そうか、文系は向いていないんだ」と納得して、途中で理系に変えさせられたのです。

本当は京大の哲学科を目指していたのだけど落胆してしまいまして、「どこでもいいです。お父さんお母さんで決めてください」と言ったところ、京大の理系ならいいということで、京大工学部金属学科(現、材料工学)に行くことにしました。

◆大学ではどのように過ごされましたか?

大学に入ったのですが授業に出る気力がないのです。

ほとんど学校には行かないで哲学の本ばかり読んでいました。

しかし、どれだけ哲学の本を読んでも「僕の人生に意味がある」と教えてくれるものはありませんでした。

積極的に生きようという気力が無いので、眠りから覚めると青白い顔なのです。

僕は生きる意味がないと知っていながらダラダラと生を継続しているだけなので、言ってみれば死ぬだけの意気地がないから生を継続しているだけでした。

そろそろ自分に意気地があることを証明しようと思って命を断つ場所を探し始めたのです。

その当時読んでいた本に、高野悦子さんの書いた「二十歳の原点」という本がありました。

彼女は立命館大学にいて鉄道自殺をするのですが、鉄道自殺はちょっと激しすぎるので、あんまり血が出ない、痛くなさそうな方法を考えたのです。

◆そこまで思い詰めたのに、生きることを選んだ理由は何ですか?

大学2回生の時、一番良さそうな方法を見つけて、それを実行しようと思っていました。

当時の僕は青白い顔でヒョロヒョロとして、いつも京都の駸々堂という大きな本屋さんで新しい哲学書を買ってきて読んでいました。

ある時、駸々堂の哲学書のコーナーにエドガー・ケイシーの「転生の秘密」という本があったのです。

変な本があるなぁと思いました。というのは、私は哲学史を勉強していて、哲学者の名前は頭に入っているのに、エドガー・ケイシーという哲学者を聞いたことがなかったのです。

もしかしたら本屋さんの店員が棚のジャンルを間違えて置いてしまったのかもしれません。

僕は哲学のことが頭に入っていたので、店員さんが間違えたジャンルを入れると「いやいやこれは違うでしょ、実存哲学のコーナーに入れなきゃダメでしょう」というように店員の代わりになって差し替えたりしていました。

それくらいその本屋にある本は熟知していたのに、全然知らない本がそこにあった。

どんな人なんだろうと思って、その本をパラパラ見たら「ほぉ」と思う所がありまして、それまでに読んだ哲学書とはあきらかに毛色というか雰囲気が違うのです。

一般的に哲学書はいかめしい言葉で始まるのが多いのですが、これはすごく実証的だし、うーんと思って買って帰って夕方から読み始めました。

今まで霊魂なんかと言う人はインチキだと思っていましたが、エドガー・ケイシ―の場合は、それを実証していく所に引き込まれました。

彼自身の人生からして高校一年中退で、さしたる学歴がないのに催眠状態になるだけで医学知識がバーッと出てくる。

彼のところにやってきたほとんどの人が難病人で、彼が催眠状態に入って次々と診断して治していくのです。

夕方からぶっ通しで読み続けて、明け方読み終わって、その時に確信したんですよ。

「この人は本物だ」と、人間の本質は永遠不滅の霊魂だったんだと。

今まで人間は死んだらお終いだと思っていたけど、この一冊の本で永遠不滅の霊魂だと知らされたわけです。

彼の本との出会いで私は救われました。




(次回につづく・・)

光田 秀(みつだ しげる)   NPO法人日本エドガー・ケイシーセンター 会長

1958年広島県生まれ。京大工学部卒。
高校生の頃より唯物的世界観の中で人生の意義 、存在理由を探求する。
20才の時にエドガー・ケイシーを知り、新しい人生観に目覚める。
政府研究機関にて研究員を4年間務め、28才よりエドガー・ケイシーの研究・啓蒙に専心し、関連する著書や翻訳書多数。

<光田秀先生のホームページ>
 
日本エドガー・ケイシーセンター

<光田秀先生の著書>
cover
眠れる予言者エドガー・ケイシー


cover
転生の秘密


cover
神の探求 (1)(2)



インタビュアー:下平沙千代(しもひらさちよ)

下平沙千代

日本一やさしい女性ケアドライバーです。
タクシー車内がセラピールームになることも・・・、
アロマハンドマッサージや、ソース・ワークショップも開催しています。

ソース公認トレーナー、アロマハンドセラピスト、NLPセラピスト
レイキヒーラー、トラベルヘルパー、NPO法人東京シティガイドクラブ会員
ブログ:『幸せを運ぶワクワクセラピー ソース』


インタビュアー:京牟禮彩(きょうむれあや)

京牟禮彩

つらいなぁという時、不安だなぁという思いは、誰のなかにもあるのもです。
「日常における様々な悩み」「生きていく上での不安」を大切にしながら
よりイキイキと生きていくためのお手伝いを行っています。
カウンセリングや呼吸法レクシャーを中心に活動中。

臨床心理士 ブレスプレゼンター(呼吸法講師)


インタビュアー:荒川仁美(あらかわひとみ)

荒川仁美

株式会社サイドウェイズ顧問、コミュニケーションコンサルタント

ブレスプレゼンターとして、呼吸法を通じて「愛される豊かな人生」を
歩む人を育むことを使命とし、「人生を楽しむ自分になる」
「人と自分を比べない」「自分の成長を信じる」
この3点をモットーに、ココロとカラダが穏やかに健やかになる
「笑顔満杯の120分」のブレスプレゼント講座を開催している。
モットーは、人と人を笑顔でつなぐ架け橋になること!

HP:株式会社サイドウェイズ
ブログ:人生はいつだってハッピー


インタビュアー:倉橋竜哉(くらはしたつや 日本メンタルサービス研究所 代表理事)

倉橋竜哉

アイネスト株式会社、日本マイブレス協会の代表を務める。
日本マイブレス協会では、ブレスつまり息をコントロールする
「呼吸法」を通じてココロの穏やかさとカラダの健やかさを
お伝えする講師の養成を行っています。

HP:日本マイブレス協会
著書:「呼吸で心を整える」 「呼吸を変えると、人生は良くなる」
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