第111回目(3/4) 光田 秀 先生 NPO法人日本エドガー・ケイシーセンター

「魂はこの人で良いと言っている」と結婚相手に言われました。

インタビュー写真

◆エドガー・ケイシーセンターはどのような経緯で設立されたのですか?

1991年、たま出版に入って2年目の頃です。

ケイシーの本の読者カードがたくさん集まりまして、興味を持っている方がたくさにることがわかりました。

それを見て「これだけケイシーのこと知りたいと思っている方がいらっしゃるなら、きっとアメリカのエドガー・ケイシー財団本部にお連れしたならば、もっと喜ばれるに違いない」と思いました。

その準備のために財団に行って「日本のメンバーをこちらに連れてきたいのです」という話をして計画を作り始めて、本当にツアーをやりました。

バス1台に55人を乗せてツアーをやったところ、アメリカの財団の方がとても喜ばれ、財団のメンバーの方々や会長が「日本から来たツアーの方々は素晴らしい。ものすごく熱心だ。この機会に、日本にエドガー・ケイシーの拠点を作ったらどうですか」と提案されました。

その時のツアーには積極的なメンバーが多くて、すぐに「ケイシーセンター設立準備委員会」が10人ほどで構成されました。

いろいろと打ち合わせをして、会費のこと、センターの場所のことなどを話し合いました。

その2年後にはケイシーセンターが横浜の綱島にできたのです。

なぜ横浜なのかというと、私の父方の叔父が不動産会社をやっていて「持っているビルの3階が空いているから使っていいよ」と言うので、家賃無しで使えることになったのです。

まだ立ち上げ間もなく貧乏な頃でしたが、ちゃんと建物も揃ってセンターが発足したのです。

◆最初から光田先生がセンターの代表だったのですか?

代表は気が重かったのですが、結局また夢の後押しで「僕がやろう」ということで代表になりました。

夢の中で、僕はものすごくでっかいトラックを運転していました。

夢ですから、ロケットでも運ぶのかと思うような極端にでっかいトラックで「光田さん、悪いけどあなた運転してくれ」と、夢の中でメンバーが言うわけです。

「いやいや、ちょっと待って!こんな大きいトラック、僕には無理!」って夢の中で言うわけです。

しかもケイシーに関心を持っている人々がそのトラックに、ものすごい量の荷物を積んでるわけですよ。

「こんなに雑多な荷物運ぶの無理ですよ」と言ったら「大丈夫、大丈夫、我々が後ろのほうで、右切れ、左切れって、指図しますからハンドル握ってください」って言われまして。

「じゃあ僕が運転しますけれど、この荷物を何とか整理してください。邪魔なもの多すぎるから整理して、載せられる分だけ載せてください」と言いましたら、みんなが要らないものを取って、整理された形でトラックを運転することになりました。

運転していくと案の定、細い道に入るんです。

ここ曲がりきれるかなと思っていたら、後ろのほうから声が聞こえてきて「ああ、そこ左ですよ。右ですよ」と、言われたとおりにハンドル切ったならば、細い道を通り抜けました。

最後に山の頂上について、山の頂上に着くと大きな湖があって、みんな喜んで湖にパーッと入っていった・・・

という夢でした。

目が覚めた後「僕でいいんだな、僕がハンドル握っていいんだな」という風に思って「会長引き受けます」って言ったんです。

そして今日に至るわけです(笑)。

◆これまでセンターの運営は順調でしたか?

何度か危ないときもありました。

トラックで言えば細い道に入ってしまうような感覚ですが、それでもうまく切り抜けてきました。

たとえば、経済的に立ち行かなくなりそうだという時期もありました。

そしたらちょうどそのタイミングでテレビ番組の「知ってるつもり?!」でエドガー・ケイシーが取り上げられ、ものすごく盛り返したり、 もう一度、経済的に苦しかったときは、突然1,000万円のご寄付をいただいたりしました。

◆どんな経緯で1,000万円の寄付があったのですか?

僕の基本的な方針として、講師料が高かろうが安かろうが、講演会に呼ばれたらスケジュールが空いている限り請けることにしています。

名古屋のある方のご自宅の茶室で10人ぐらい集まるのでケイシーの話をしてくださいと言われまして、東京から伺いました。

講演が終わって、帰ろうとしたところ、東京の女性がおられて「一緒に帰りましょう」ということで並びの席で切符を買って、2時間ぐらい話しをしながら帰ったのです。

その時に「いい話を聞いたので、活動をサポートしたいと思います。寄付をしたいのですが、どうすればいいですか?」と利かれて、カバンに入っていた郵便振替用紙を渡したのです。

その2日後に、センターで事務をしている久保さんから電話がかかってきて「会長、大変なことが起きました。1,000万円のご寄付がありました!」と言われて驚きました。

ご本人曰く、ちょうど遺産が入ってきてどこか良い使い道がないかなと思った時に僕と出会ったのだそうです。

「知ってるつもり?!」でバーンと出て、その後、会員数が一気に増えて、また一気に減ったのです。

残った方もいらっしゃるのですが、一時的な流行で終わってしまった方もいました。

その影響もあったかと思うのですが「経済的にこのままで大丈夫かな」と思っていたときだったのでとても助かりました。

◆その寄付とケイシーを研究していることに何かつながりはありますか?

僕が思うには、宇宙がそういうご縁を仕向けてくださった、宇宙が必要な方と会うように配慮してくださったのでしょう。

僕が小細工をしたわけではなくて、宇宙の配慮でそれが実現されたんだろうと思うのです。

「ケイシーセンターを盛り立てていきなさい」宇宙が、神が、そう思ってくださった。

それで必要な人に自然に繋がったと考えています。

神が喜ばれることをしているかぎり、それに不況は無い、それがくじけることは無い。我々が神の目から見て望ましい活動をしている限り、必ず宇宙からの助けが、恵みが有ると確信しています。

根本的には心配しておらず「あぁ、経済的にちょっときつくなっているな」と思うくらいでして。

大丈夫、大丈夫、心配する時間が在ったらば、やるべきと思うことを集中してやろうと。

なので、心配はしません。

宇宙が喜ばれるのというは、ケイシーの言い方で言うならば「同胞に生きる希望と喜びを与えているかぎり神は喜ばれる」ということです。

たとえば病気で苦しんでいる方々に病気の治療法を一生懸命提供する、それを宇宙は良しとされるのです。

◆唯物論者だったお父さまは、今の光田先生のお仕事をご存知でしたか。

うちの父は死ぬまで唯物論者でした。

なので7年前に亡くなるのですが、死ぬまでケイシーのことは受け入れなかったです。

父はケイシーのことは全く受け入れなかったけれども、私の本の誤字脱字は見つけたり、地元の本屋さんに「光田秀コーナー」を作ってくれたりしました。

――本を出したということは、誇らしく思っておられたのですね。

息子のやっていることは「なんだ、こんなもの」と思いながらも、本屋さんに掛け合って光田秀のコーナーを作り、その横にうちの奥さんのコーナーも作ってくれました。




インタビュー写真


◆奥さまはどのような活動をされていますか。

私の奥さんは吉元由美といいまして、作詞家をしていて、エッセイもたくさん書いています。

平原綾香さんの「ジュピター」を作詞したときには、まず彼女の声を聞いて、この声だったら、こんなメッセージを伝えられるなと、今まで書こうと思っても書けなかった歌詞を書くことができたと言っていました。

私の本「賢者たちのメッセージ」という対談の本では、対談する相手が男性ばかりだったので、実は奥さんに出てもらったんです。

本の中では夫婦であることは伏せて、他人みたいなふりをしていますが。

◆奥さまとはどちらで出会われたのですか?

うちの奥さんとも、夢がきっかけです。

今でもそうですが、いろんなところで、僕は夢で助けられています。

結婚する前の彼女がまず、夢の先生である坂内慶子先生のところで、夢分析を習っていました。

坂内先生と僕はもっと前からの知り合いでした。

その坂内先生が僕と彼女を引き合わせるという夢を見たというのです。

そのときに坂内先生は「いやいや、この組み合わせは無いでしょう」と否定したとのこと。

当時私は横浜の端っこのほうに古い家を借りて慎ましい生活をして、彼女は作詞家として成功していて、東京に一戸建を持っているし、車だってベンツ乗ってた人ですから。

一方、僕は自転車だけですから「いやいや、この組み合わせはありえない」と。

しかし一度は否定したそうですが、続けて2回も彼女と私を引き合わせる夢を見てしまったそうです。

夢分析の先生が2回も見てしまった以上、引き合わせるだけは引き合わせようと思ったそうで。

ある日、彼女に「私の知り合いでちょっと変わった人がいるんだけど、会ってみませんか?こういう経緯の人がいるんだけど会ってみませんか?」と聞いたときに、「まぁ友達が増えるのは悪いことでもない」ということで、会うことになりました。

それから彼女は私と出会う前に、何回か私のことを夢で見たそうです。

彼女に実際に会ってから、今度は僕も夢を見始めました。

決定的だったのは、お正月の初夢です。

私は彼女を広島の実家に連れて行く。夢の中の実家は旅館みたいにでっかいんです。ほんとの実家は、一階建ての慎ましい家なんだけど、夢の中では旅館みたいに大きい。私は、臆面もなく彼女に「これが我が家です」と言いました。

玄関はいると、最初に連れて行ったところがお風呂場で「我が家では、お風呂の残り湯を洗濯に使ってます」と教えました。

そして、いくつか部屋を見せた後で居間に連れて行って、私の両親と挨拶をするという夢を見たわけです。

そして、彼女もお正月に「男性に大きな家に連れて行かれる」夢を見たのです。

当時はまだ、彼女は私のことをケイシーの大家だと思っていて「光田先生、こんな夢見たんですけど、解釈してもらえませんか?」という電話がかかってきました。

「どんな夢見たんですか?」と聞いたならば、「知らない男性におっきな家に連れて行かれるんですよ」と言うのです。

私は「ちょっと待ってください。私の初夢から先に言わせてください」と彼女の話を遮りました。

僕が後で彼女夢に合わせて作り話でも作ったように思われたらいけないですから「私の見た夢を先に言わせて下さい。

私はあなたを広島の実家につれて行きました。

実家は、本当は、平屋の慎ましい家ですが、夢の中では旅館のように大きかったんですよ。

私はなぜかあなたをお風呂場につれていったんです」といったら、彼女はものすごく驚いて、「えっ、その人も私をお風呂場に連れて行ったんですよ」と。

それから、最後に居間に連れて行く話をしたところ、これが彼女の決定打になったらしく「箸にも棒にもかからない人だと思っていたけど魂はこの人で良いと言っているようだ」と思い始めたようです。

結婚するかもしれない相手として考えるようになったようです。

さらに別の夢で、彼女が、古い木造二階建ての家に行く夢を見ました。

二階に行くと大きな窓から湖が見えて、湖から群青色をした3つの曼荼羅が昇っていたそうです。

一階に下りてきて住んでいる男性に「すいません、洗濯機どこにありますか?」と聞いたならば「洗濯機は外置きです」と言ったとのこと。

「いやー、使いにくー」と思って、目が覚めたんだそうです。

彼女から電話かかってきて「光田先生、こんな夢見たんですけど」「どんな夢ですか?」「木造のこんな家見たんですけど」「良かったら、間取り教えてください」「それ、うちですね」というやりとりがあって。

彼女は車でうちに来て「ホントかどうか、調べに来ました」と。そうしたら、夢に見たとおり、古い二階建ての木造の家で、二階上がっていったら、鶴見川という大きな川があって、ちょうど目の前が花火があがる場所だったんです。

ほんとに川幅広くて、大きい湖に見えるんですけど、一階に下りてきて、「洗濯機どこですか?」って聞くから「外置きです」って答えて(笑)。

箸にも棒にもかからない、むさくるしい男だと思っていたけれども、夢はこの人でいいんだと言っているようだと。

彼女の友達から「そんな人でいいのか」「夢で見たからといって、結婚して大丈夫か」と言われたそうです。

「そんなんでいいのか」「仕事は何してるのか」「なんか、翻訳してるらしい」と・・・

夢がきっかけで結納を交わし、それから2ヵ月後にはハワイで結婚式でした。

出会ってから結婚まで、半年しか経っていませんでした。

◆他に、夢に助けられたこと、導かれた経験はありますか?

割と最近のところで言うと、体調不良になりかけたことがあります。

そのとき、どんな夢を見たかといえば、ものすごい長い食堂に入るんですよ。

食堂といっても細長い定食屋さんみたいなところで、いろんな人が座っているんです。

僕は入り口の近いところに座って、何か頼もうか考えていたら、いきなり座っていたお客さんが立ち上がって、銃撃戦が始まるのです。

よく見たら、片方は暴力団、片方は警官なんです。

「おー、えらいところにきた」と思って店から出て隠れようと思ったら、そこに大きな段ボール箱が置いてある。

何だと思って、ダンボールの封を切ってあけると、中から警官がどーっと出てきたんです・・・

そこで目が覚めて自分の夢を解釈しました。

僕の解釈ではね、細長い食堂だったんですけど、あれは僕の胃腸、おそらく小腸で、善玉菌と悪玉菌が戦っているのだなと。

ダンボールを開けたのは何かのパッケージを飲めということで「ヨーグルトを飲め」ということかなと思いました。

それから3日間くらい、少し多めにヨーグルトを食べたのですが、おなかの調子があまり戻った感じがしませんでした。

ヨーグルトじゃなかったのであれば、なんだろうと思って考えたのは、アメリカからケイシーの薬剤を買っていて、封を切ってなかったダンボールがあったのです。

それを開けたら生姜エキスと薬用ニンジンのエキスが入っていて「これはケイシーがおなかの不調のときに良く使っていたパターン」だと思い当たりました。

それから数日間は、グラス半分くらいの水に薬用ニンジンを数滴と生姜エキスを数滴たらしたものを毎食後飲むのを数日続けたところ、おなかの調子が戻りました。

◆夢の解釈の仕方にコツはありますか?

夢は必ず、象徴で現れます。

「お前の小腸悪いよ」とダイレクトには言ってくれません。

ストーリーと象徴で教えてくれるので、それを読み解けば、自分の人生に役立てられます。

夢に出てくる象徴と、現実の解釈は1対1ではないですけど、大体が決まってきます。

例えば、蜂が出てきたならば、嫉妬の象徴ということが多いです。

象徴が出てきたら、意味合いと、組み合わせを知っていれば、だんだんと解けるようになりますよ。

だから、人の夢を聞いても大体解けます。

人の夢であっても、シンボルが普遍的なものを含んでいますから「あなたの夢はこういう意味ですよ」と。

夢はものすごく優秀なコーチです。だって、僕のことを一番知っている魂が僕にくれるわけですからね。




(次回につづく・・)

光田 秀(みつだ しげる)   NPO法人日本エドガー・ケイシーセンター 会長

1958年広島県生まれ。京大工学部卒。
高校生の頃より唯物的世界観の中で人生の意義 、存在理由を探求する。
20才の時にエドガー・ケイシーを知り、新しい人生観に目覚める。
政府研究機関にて研究員を4年間務め、28才よりエドガー・ケイシーの研究・啓蒙に専心し、関連する著書や翻訳書多数。

<光田秀先生のホームページ>
 
日本エドガー・ケイシーセンター

<光田秀先生の著書>
cover
眠れる予言者エドガー・ケイシー


cover
転生の秘密


cover
神の探求 (1)(2)



インタビュアー:下平沙千代(しもひらさちよ)

下平沙千代

日本一やさしい女性ケアドライバーです。
タクシー車内がセラピールームになることも・・・、
アロマハンドマッサージや、ソース・ワークショップも開催しています。

ソース公認トレーナー、アロマハンドセラピスト、NLPセラピスト
レイキヒーラー、トラベルヘルパー、NPO法人東京シティガイドクラブ会員
ブログ:『幸せを運ぶワクワクセラピー ソース』


インタビュアー:京牟禮彩(きょうむれあや)

京牟禮彩

つらいなぁという時、不安だなぁという思いは、誰のなかにもあるのもです。
「日常における様々な悩み」「生きていく上での不安」を大切にしながら
よりイキイキと生きていくためのお手伝いを行っています。
カウンセリングや呼吸法レクシャーを中心に活動中。

臨床心理士 ブレスプレゼンター(呼吸法講師)


インタビュアー:荒川仁美(あらかわひとみ)

荒川仁美

株式会社サイドウェイズ顧問、コミュニケーションコンサルタント

ブレスプレゼンターとして、呼吸法を通じて「愛される豊かな人生」を
歩む人を育むことを使命とし、「人生を楽しむ自分になる」
「人と自分を比べない」「自分の成長を信じる」
この3点をモットーに、ココロとカラダが穏やかに健やかになる
「笑顔満杯の120分」のブレスプレゼント講座を開催している。
モットーは、人と人を笑顔でつなぐ架け橋になること!

HP:株式会社サイドウェイズ
ブログ:人生はいつだってハッピー


インタビュアー:倉橋竜哉(くらはしたつや 日本メンタルサービス研究所 代表理事)

倉橋竜哉

アイネスト株式会社、日本マイブレス協会の代表を務める。
日本マイブレス協会では、ブレスつまり息をコントロールする
「呼吸法」を通じてココロの穏やかさとカラダの健やかさを
お伝えする講師の養成を行っています。

HP:日本マイブレス協会
著書:「呼吸で心を整える」 「呼吸を変えると、人生は良くなる」
発行メルマガ:毎朝1分☆天才のヒント

  • 呼吸法の日本マイブレス協会
  • 毎朝1分 天才のヒント

インタビュー集

  • 毎朝1分天才のヒント メールマガジンで30日間の無料レッスン
  • さぱりメント あなたのお悩みをさっぱり解決