第109回目(1/4) 藤原 直哉 先生 株式会社あえるば

「会社で農業をやろう」と思ったのです。

今回のインタビューは、株式会社あえるばの藤原直哉(ふじわらなおや)先生です。


藤原先生は、大学卒業後、大手メーカー、経済企画庁、大学の講師、外資系金融機関などの勤務を経て、今の会社の前身となる「シンクタンク藤原事務所」を設立されました。

経済アナリストとしてテレビやラジオでも活躍されていて、政治経済の政策提言などもされています。

現在は「健康立国ニッポン」を目指して、地方の村おこしや心の健康など様々な取り組みをされておられるとのこと。

政治経済を専門としていた藤原先生が、なぜ心の分野に足を踏み出したのか、他にはないユニークな取り組みについて語っていただきました。

インタビュー写真

◆子どもの頃は、どんなお子さんでしたか?

子どもの頃から、自分が決めたことは上の人に言われても曲げない性格だったようです。

小学1年生の時に「放課後、みんなで写真を撮るから残ってください」と言われた日がありました。

それなのに、いつまで経っても写真を撮らないので「撮らないでもいいですか?」と先生に聞いたら「いいですよ」と言われて私1人だけ家に帰ってしまいました。

だからその写真には私だけ写っていなくて、親がえらい心配しましたね。

◆その性格は大人になってからも変わらなかったのですか?

自分が勤めていたときは、上の人としょっちゅうケンカしました。

もう上司と見ればケンカをふっかけていましたよ。

大学を卒業して、住友電気工業に入社した直後の研修生の時からそうでしたから。

工場実習があったのですが、その懇親会に人事課長が来ていて「なんだこの会社は、ひどい会社だ!」って噛みついていました。

その後の経済企画庁(現在の内閣府)に出向したときもそうでした。

そんな話がたくさんあるのですよ。だからやっぱり人のもとで働くのは難しいなっていうのは20代の頃から感じていました。

◆独立された経緯を教えてください。

経済企画庁の後に、ソロモン・ブラザーズ・アジア証券に入社しまして、今で言うデリバティブズの分析をやっていました。

1980年代に始めた頃はまともだったのですが、90年代に入ってからインチキだと感じるようになりました。

お客さんや政府にはばれないようにやっているけれど、自分はだませないわけですよ。

こんなことをやっていたら、人生面白くないし、全部終わっちゃうと思ったのです。

日本の会社も役所も勤めたし、外資にも勤めたし、さんざんケンカしてきまして「もう自分でやるしかない」と思ったのです。


シンクタンクの仕事をしようと思っていまして、ソロモンでも分析の仕事してましたから、研究リサーチは仕事の範囲だったのですが、組織の中でやるリサーチって決してうまくいかないのです。

組織としての立場が先に来るので、結論が先にありきになのです。

理屈っぽい話になるわけですが、ところが、世の中って理屈どおりにいかないですよね。

当時は90年代で、政治や経済も大転換のときですから、効率だとかルールも適応できないような、なんか今までみんな見たこともないような変化が次々起こっていました。

そうすると、もう、型どおりの分析なんかやってたって、絶対何もわからないですよね。

では、どうすれば先が見えるかというと、本気でやると、直感で答えが見えるのですよ。

直感で先に答えが見えて、あと、それどう説明するかという流れになるのです。

これは自分でシンクタンク作るしかないと思ったわけですよ。

それで「シンクタンク藤原事務所」を設立しました。




インタビュー写真


◆勤めていたときと、独立されてからで変わったことはありましたか?

勤めていたときはケンカをふっかけてばかりいましたが、立場が逆転しました。

言う方はラクだけど、言われる方は大変ですよね。両方やってみて初めてわかりました。

でも、いろいろ言ってきたからこそわかることが多いのです。

言う方と、言われる方、両方やってみると面白いですし、大体のことがわかるようになります。

◆シンクタンクを設立されて、どのようなお仕事をされていたのですか?

1996年に設立して、当時は金融のコンサルティングや、インターネット関係、年金、不動産、政治経済の分析などを行なっていました。

何人もスタッフがいて、いろいろなことをやっていましたね。

私が外に出ると「こんなことをやってくれ」と頼まれるわけですよ。「あれもできない?」「これもできない?」と。

そのお願いに応えるかたちで仕事が増えていきました。多様なニーズに応えるためにいろいろな専門家がいました。

◆現在とはずいぶん違う感じがしますが、どのような経緯で変化されたのですか?

21世紀になり、時代が変わったのを感じました。

中越地震があって、当時は渋谷だったのですが「巨大な地震があったら、もう東京では仕事ができない」と思ったのです。

そこで引っ越そうと思ったのです。

ちょうどITバブルが崩壊した一方で、「ロハス(LOHAS、環境と健康を重視する生活)」という言葉が流行り始めていた頃でした。

その後の構造改革で、失業率が上がったこともありました。あの時は日本はすごく大変な時代だったのです。

次の日本はどこから変わるのだろう?ということをいつも考えているのですが、時代が変わるときというのは、真ん中ではなく、必ず周りから変わるのです。

地方から変わるだろうという直感が私の中にありました。だから自分から地方に行こうと思って神奈川県の小田原に行きました。

小田原に行って「会社で農業をやろう」と思ったのです。

◆それまで農業の経験はあったのですか?

やったことないですよ。でもいきなり市民農園を借りたのです。

仕事の合間にネクタイをしながら草取りとかをしましたよ。

当時は若い新入社員がいて、彼が料理が得意だったので社内でお昼ごはんを作ってもらっていました。

今はお昼ごはんを会社で作るところが出てきたけれど、私たちはもっと前からやっていました。理由は簡単で、周りにお昼ごはんが食べられるお店がなかったのです。

今は千葉の市原に畑を移してしまいましたが、当時は田んぼと畑を小田原でやっていました。

地元の人とお能をやったり、収穫祭をやったり、お祭りもやりましたね。




(次回につづく・・)

藤原 直哉(ふじわら なおや)   「株式会社あえるば」代表

独立系シンクタンクとして「経済」「政治」「国際情勢」「組織のリーダーシップ」に関する独自の分析を行っている。
社会人学校「藤原学校」を東京で月2回開催し、全国各地で「藤原塾」も開催している。
認定特定非営利活動法人日本再生プログラム推進フォーラムの理事長として、健康で持続性の高い日本の再生に向けて政策提言、啓蒙活動を行っている。

<藤原直哉先生のホームページ>
 
株式会社あえるば

藤原直哉オフィシャルサイト

藤原直哉のインターネット放送局

<藤原直哉先生の著書>

ワールドレポート


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経済アナリスト藤原直哉の未来を拓く思考法


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日本人の財産って何だと思う?



インタビュアー:高坂一彦(たかさか かずひこ 某衆議院議員事務所 政策員)

高坂一彦

マイブレス式呼吸法と傾聴1日講座の講師として、自分と向き合い
自分の心を楽にして、穏やかな人間関係を築くお手伝いをしています。

政策研究は、地域コミュニティーのあり方を中心に発達障害者支援や
子育てをテーマに活動しています。

ブログ:うん!これでいいんだ!素直でいこう!人つながり高坂塾


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市川千里

ブレスプレゼンター(呼吸法)、ELM(勇気づけ)リーダー

何かとストレスの多い日々の中であっても、
自分らしく、イキイキした時間を過ごせるように、
一歩ずつ進んでいきましょう。
そんな応援ができるようになりたいと思っています。


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倉橋竜哉

アイネスト株式会社、日本マイブレス協会の代表を務める。
日本マイブレス協会では、ブレスつまり息をコントロールする
「呼吸法」を通じてココロの穏やかさとカラダの健やかさを
お伝えする講師の養成を行っています。

HP:日本マイブレス協会
著書:「呼吸で心を整える」
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