第95回目(1/4) 二神 能基 先生 ひきこもり支援

日本の若者が、目標喪失している!

今回のインタビューは、、「ひきこもり支援」で圧倒的な実績を上げて来られた
NPO法人ニュースタート事務局 理事の二神能基(ふたがみ のうき)先生です。

二神先生は1999年に、ニートを支援するNPO法人「ニュースタート事務局」を
設立され、4000組を超える親子の相談に携わってこられました。

「レンタルお姉さん・お兄さん」の活動や、「仲間・働き・役立ち」の3本柱の意義など、
21世紀の“若者支援”について、深いお話を伺いました。

インタビュー写真

「小さい頃はどんなお子さんでしたか?」

野球少年。高校野球が一番盛んな時で、愛媛県松山市出身なんですけど、そこに松山商業高等学校というのがあるんですよ。そこが、昭和28年、僕が10歳の時に全国制覇してね。松山商業高等学校というのは松山の少年の憧れでね。だから小学生の段階では、松山商業高等学校に入って4番バッターになるのが夢で、ひたすら野球をやっていました。

ところが、意外にうちの親が教育ママで、突然中学受験をするという話になった。愛光学園ができて3年目だったから僕は知らなかったんだけど、中高一貫校で今でも東大に20人ぐらい入るんですよ。親が「愛光学園に行け」と言うので、よくわからなかったけど受けたら入っちゃった。

愛光学園は対外試合禁止の進学校だったから、「野球選手の夢はもう無理かな」と思ったね。

「どんな学校だったのですか?」

受験校だった。でも、受験の意識はあまりなくて、何となく入った。それで、「この学校、何か雰囲気おかしいな」と思っていたら、夏休み前に「女の子がいないからだ」と気づいた。男子校だったんだ。あれは我が人生の大きなロスだったよ。だから、未だに女性には苦手意識が強いんですよ。

「中学校時代は勉強に打ち込んでいたのですか?」

そんな感じじゃない。「何とかついていった」という感じで。特殊な学校で、6年分を5年間でやりましょう、ということで、高校2年で高3までの勉強が終わっちゃう訳です。高校2年の段階で模擬試験なんかも受けさせられていた。そのあたりから厳しくなってきた。進学実績を出すことに学校がものすごく一生懸命になっていて、「東大に何人通す」というのが学校の当面の目標だった。

高校2年の最初に実力テストがあって、担任から個別面接で簡単に「二神くん、君は東大。しっかりやってくれ」と言われて。一週間くらい経って、はじめて具体的な人生を考え始めて、「俺は東大に行くと、こうなって、こうなって、こうなっていくのか」と考えると、何かすごく人生が決まってしまったみたいな感じがして、その後、5月のテストから答案を書けなくなった。

書く気になれなくて白紙で出したら、すぐ担任に呼ばれて「お前、どういうつもりだ?」とものすごく叱られて、「次から書け」と言われた。「書くためには理由がいるんだよな」と思ってしまった。書く理由が見つからないから白紙で出し続けただけで、強い信念があったわけではなかったけど、1年間白紙答案を出し続けた。

それで、最終的に高3の初めで退学になった。だって点数取ってないもの。番外だし単位も取ってないからね。一応授業はまじめに出ているから、高2までは修了ということで退学になった。

「退学後は、どうなさったのですか?」

退学した時一番に思ったのは、「無所属になるのはけっこう不安だな」ということ。自由になったというより、何かひどく「無所属ってどうすればいいの?」って、それはありましたよ。

親父が愛媛県の田舎にある公立高校の校長と親しかったので、彼に話したら「うちに来させたらいい」と言ってくれて、僕はそこに転入した。1年間の田舎の高校生活は楽しかったよ。1学年150人いたけど大学に行くのが4〜5人くらいの学校で。山の中にあって、普通科、農業科、林業科とある、のどかな高校だった。

「では、そこでの学校生活は楽しめたのですね?」

共学だったしね。学校に行くのが楽しかったよ。授業中も前の女の子が髪を結って長くしているのをひたすらジーっと眺めているのは退屈しなかったよ。女の子がいると教室風景も全然違うしね。

「そこでの1年間を過ごされて、大学に進まれたのですね?」

その頃は親も東大なんて言わないし、何となく「早稲田くらいが程がいいな」という判断があって、早稲田を受験して政治経済学部に通った。「東京に出ていきたい」というのはものすごく切実にあったよ。あの頃は東京に対する憧れがあった。東京に行かないと俺の青春はないように思っていたよ。

「政治経済学部なのに教育に進まれたのは、どういう経緯なのですか?」

教育に進んだのではなくて、それしかすることがなかったんだ。大学の時には、田舎に帰ると有名人でね。「愛光学園で白紙答案を出して退学して、それでも早稲田に入って、あいつはなかなかすごい」と。松山では、「あいつは早稲田の入学生総代だった」というデマまで広まっているわけ。

全共闘運動みたいなのが始まりかけた頃で、高校生でも反抗して、「授業をボイコットしょう」というのが結構起こっていた。愛光学園も進学校だからマセたガキが何人もいてね。それで、そういう連中で学校に来なくなった奴を、愛光学園の校長が「あいつのところへ相談に行け」と、俺のところへ寄越すのよ。

何年か経った時に、「校長先生は俺を退学にしておいて、いざとなったら俺のところに生徒を回すってどういうことですか?」って言ったら、その校長はなかなかの人物でね、「君、毒をもって毒を制すという言葉を知らないか?」と言われて、「負けた」と思った。だから、そういうのを集めて勉強を教えていた。

そうしたら今度は、「愛光学園を受ける子を見てほしい」と、小学生が来はじめた。小学生の方が面白かったな。高校生はボランティアみたいな形で始めたのもあって授業料がもらえないんだけど、中学受験の子どもを教える時には、親は授業料を払う気がある訳だよ。食い扶持を稼がなければいけないから、こちらの方に移行していった。


インタビュー写真


「そんな形で、塾が始まったのですね?」

塾の歴史の中で、日本で最初に進学塾の道を開いたのは愛媛の二神塾と言われていて。中学受験の塾などというのは日本中にない時代だったけど、何となくそうなっちゃったわけで。塾の経営といっても、戦略がどうのとかそんな時代じゃなくて、時代と場所がよかっただけの話だと思っている。だから、あっという間に生徒が100人になり、1,000人になっていって。

選んでしたのではなく、何となく流れでそうなっちゃっただけなので、いつも「何か面白くないな」というかね。だって、もともと通りそうな優秀なやつがくるんだからね。だから、2年間どう機嫌よくいてもらうか、いかにやっていることに値打ちがあるように思わせるか、ということでね。

塾を12〜13年やったが、27歳の時に一度やめているんですよ。一度やめて、あとは他の連中に頼んで、“半年間トランク1つで世界を歩く”というのをやったんだよ。1ドル360円の最後の時。あれが豊かな半年だったな。それで、また後の人生がしばらくもったな、という感じ。

たった1人で横浜から船に乗ってアメリカに渡って、アメリカからヨーロッパに行って、ソビエトも入って、最後にアジアをグルっと回った。あの時、商社に勤めている同級生が横浜に見送りに来て、「お前、命がけの旅だな」と言ったのを覚えている。当時はそのくらいの感覚で、世界一周する人なんかはあまりいなかった。

「世界を周ってみて、いかがでしたか?」

外国に行けば随分違う考え方がある、ということ。思考が柔らかくなる、という意味では、すごく刺激的だったんですよ。いろんなところで、ものすごく新鮮でしたね。あれが後の人生を生きていく上で大きかったと思う。

「その後、ひきこもり支援の道に入られた経緯を教えてください」

35歳で、また塾をやめたんです。それでブラブラしていて、塾業界では有名人だったから、しばらくは塾の助っ人業をやっていた。あの頃は塾がどんどん伸びる時代だったから、いろいろなところが多店舗化を図っていた。新しい教室を作る人材がそんなにいなくて、頼まれたらちょこちょこやっていた。

ずっと「人生のテーマが決まらないな」という感じでいたんですけど、50歳の時、1993年にNHKのドキュメンタリー番組を観ていたんです。そうしたら、イタリアの農園で若者の再生みたいなことをやっている農園があると。

それをやっているのが宮川秀之という日本出身のおじさんで、彼はイタルデザインというイタリアのデザイン会社の社長だったんだけど、日本の自動車メーカーに100種類もデザインを納入していてお金もできたので、彼は「第二の人生」ということで、トリノからトスカーナの方に移動して、若者の育成とかそういうのをやろうとしていた。

何となく「面白そうだな」と思って、すぐNHKに連絡場所を訊いて連絡したら「じゃぁ、1度来いよ」と言われたので、翌月には行っていた。

「どうしてそんなに行きたくなったのでしょう?」

何となく「日本の若者が目標喪失してるな」ということがあったし、それは自分の意識の中にも重なる部分があってね。だから最初にやったのはひきこもりじゃなく、「日本の目標喪失の若者対象に、イタリアに行くプロジェクトをやろう」ということで、イタリアに送り出したんです。

それは『アベルの会』というキリスト教系団体が、活動の一つとしてやっていた。臨床心理士や精神科医の偉い先生方がトップにいて、芝居をやらせたり、話し合いをさせたり、いろいろな所に行って、いろいろな体験をさせるという様に、非常に多角的にやっていましたね。

彼らの考え方というのは「道端大学」と言うんですよ。大学みたいな所に閉じ込めるんじゃなくて、いろいろな体験ができる場所に連れて行き、道端で体験をさせて話をする。ニュースタートみたいに、いろいろ体験できる場所を創るというのはまさにそれで、ここは道端大学なんですよ。

「そこから、どのように進んでいったのですか?」

目標喪失の若者を集めてみたら、ひきこもりやニートみたいな奴が多かった訳。その目標喪失プロジェクトに申し込んで来る奴は、ひきこもり、ニート、高校中退、大学中退というのが多かった。

最初は大学不登校が多かったので、大学不登校をやっていたんですよ。それをやろうと思っていた訳ではないんだが、新聞が大学不登校問題という取り上げ方をしたんですよ。その事についてコメントをしたら、三日後には大学不登校の専門家になっていたな。

「当時だと、スチューデントアパシーという捉えでしょうか?」

その流れの中にあるんだけど、ちょっと違うニュアンスみたいなものがあるな。その時に親しくなったのが、高塚雄介先生。早稲田大学の学生相談センターの所長で、大学へ来なくなった奴の相手をしていたんでね。スチューデントアパシーの問題の流れの中にあるんだけど、ちょっと違う。

社会に対する不信感、大学に行って学ぶことってそんなに意味があるのか、ちゃんと学んで、ちゃんと立派に職業に就いている人が、やっていることは何なんだという、そういう問題が横たわっているなと感じていたんですよ。スチューデントアパシーに対して、もっとやる気を起こさせようという問題ではなく、もっと・・・。

「社会的な問題?」

大げさに言えば、資本主義社会の行き詰まり。その辺りを感じていて、イタリアの人と重なっちゃったんですよ。イタリアは日本の資本主義とは違う。日本は経済大国だけど、イタリアは生活大国だよね。仕事よりも生活の方が大事みたいな。宮川さんに日本はイタリアより15年遅れていると言われた。その辺りだよね。ワークライフバランスみたいなことを日本も最近言われ始めたけど、イタリアなんかとっくの昔にね・・・。

「当たり前ですよね?」

そうそう。

「それを日本に持って来ようと始めた?」

日本に持って来ようと言うより、若者をイタリアに出してやろうと。日本の事務局として7年間一生懸命やっていたんですよ。ところがイタリアに行くと元気になるんだけど、戻って来るとなかなかうまくソフトランディングできないんですよ。日本でもアフターケアの場所が要るんじゃないかと言われて、ついおだてられてやっちゃったのよ。

「それが、ニュースタート事務局になったのですね?」

その後、今度はひきこもりが問題になって、マスコミがひきこもりの専門機関みたいに取り上げると、ひきこもり専門家になっちゃうの。ずっと一貫しているのは、目標喪失の若者をどうするかっていうこと。


(次回につづく・・)

二神 能基(ふたがみ のうき)   NPO法人ニュースタート事務局 理事

1943年生まれ。
愛媛県松山市での中学受験塾、幼稚園経営などを経て、1994年、目標を喪失した日本の若者をイタリアに送るプロジェクトを7年間展開。
1999年、ニートを支援するNPO法人「ニュースタート事務局」を千葉県市川市に設立。
これまで、40年にわたって育成、相談に携わった親子は4000組を超える。
早稲田大学講師、千葉県・内閣府等の委員を歴任。

<二神能基先生のHP>
【NPO法人ニュースタート事務局】

<二神能基先生の著書>
cover
働かない息子・娘に親がすべき35のこと


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希望のニート〜現場からのメッセージ〜


cover
ニートがひらく幸福社会ニッポン


cover
暴力は親に向かう―すれ違う親と子への処方箋



インタビュアー:鈴木明美(すずきあけみ)

鈴木明美

セラピールームChildren主宰、Team Oasis 代表
自分がなんだか分からない。何かやりたいけど、見つからない。
心の悩み、病を抱えた方、自己実現したい方のお手伝いをいたします。

心理カウンセラー、ゲシュタルトファシリテーター、NLPセラピスト、
交流分析士1級、レイキヒーラー
HP:江戸川区西葛西、セラピールームChildren
ブログ:セラピールームChildren


インタビュアー:川田史郎(かわだしろう)

川田史郎

マーケティングプロデューサー、コーチ。

現状を変えていきたい人、何かをはじめたい人の
コーチングをしながら、
解決策のプロデュースや事業化のお手伝いをしています。


インタビュアー:福田りこ(ふくだりこ)

福田りこ

あなたの中に隠された宝の箱を開けてみませんか。

潜在意識に直接アプローチする心理療法を中心に、
自己受容と自己変容のプロセスに寄り添って行きます。

心理カウンセラー
米国催眠士協会認定ヒプノセラピスト
HP:セラピールーム・サンクチュアリ


インタビュアー:脇坂奈央子(わきさかなおこ 日本メンタルサービス研究所 所長)

脇坂奈央子

『道開きの心理士』 ……本来のあなたの道を開く、お手伝いをします。
ブライアン・ワイス博士直伝の、プロフェッショナル・ヒプノセラピスト。
前世療法・催眠療法を中心に、ニーズに応じた各種心理セラピーを施療。

心理士、認定THP心理相談員、統合心理セラピスト、心理カウンセラー、
米国NGH認定ヒプノセラピスト、認定キャリアコンサルタント、
代替療法セラピスト(レイキティーチャー)
HP:ワイス博士直伝の前世療法・催眠療法・心理療法★ラポール
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