第81回目(1/4) 向後 善之 先生 統合的カウンセリング
心理学が学びたくて、エンジニアから転身。40歳でアメリカ留学。
今回のインタビューは、カリフォルニア統合学研究所(CIIS)で
学ばれ、
「統合的カウンセリング」の第一人者として、ハートコンシェルジュ(株)で
カウンセラーとして活躍なさっている向後 善之(こうご よしゆき)先生です。
さらに、向後先生は、「セラピスト・ビレッジ」という
お互いに得意な理論・手法をシェアしあう場を作る活動もなさっています。
様々なカウンセリング手法を統合し、その時のクライエントさんに
最適なアプローチをしていく「統合的カウンセリング」。
様々な手法を実践なさっている向後先生に
注目すべき新しい手法や、今後の夢などのお話を伺いました。

「先生は、小さい時は、どんなお子さんでしたか?」
まあ、今で言う多動とか注意欠陥とか、そういう感じで。要するに教室にいるのが耐えられなくて、昭和でしたから、バケツを持ってよく廊下に立たされていましたね。
僕は元エンジニアだったんですが、エンジニア魂みたいなものがその頃芽生えていて、小学校4年くらいだったかな・・・「何故僕だけがじっとしていられないのだろう?」と考えて、どの位でじっとしていられなくなるかを実験してみようと思って、やってみたことがあるんです。
そうすると、5分くらいからお尻がむずむずし出して、片方ずつのお尻に体重乗せて何とか耐えようとするけど、10分くらいで耐えられなくなって、サイコロ転がす野球ゲームを密かに始めて、20分くらいで見つかって、25分頃には廊下に出て立つ・・だいたいそんな感じでしたね。
二つ下の弟は、真面目で優等生で。ある時、僕が廊下に立たされていたら、向こうの方から走ってくる奴がいて、見たら弟なんですね。
兄貴としての沽券に関わるので、堂々としていたら、弟が気づいて立ち止まるから、「何を立ち止まっているんだ。先生に何か頼まれたんだろ! 早く行けよ!」と威張って言ったら、まあ威張るしかなかったんですけどね。家に帰ると、お袋に「あんたは立たされるだけならよくあることだったけど、立たされても威張っていたらしいじゃない。情けない!」と嘆かれたこともありました。
「小さい時は、エンジニアになりたかったのですか?」
鉄腕アトムが流行っていたから科学者になりたいとも思ったけど、成績がとにかくひどかったものですから・・・。
「大学では何を専攻されたのですか?」
僕は工学です。大学院ではエネルギー専攻科と言ってね、原子炉とか石油プラントとかそういう構造物の強度、要するに破壊力学というのを専攻していたんです。
「それで、その関係で石油会社に就職されたということですか?」
そうですね。
「40歳になって心理学の方に方向転換されたのは、何かきっかけがおありだったのですか?」
よく聞かれるんですが、中学ぐらいから数学が好きになり、それなりの成績になり、高校に入った時には完全に理系になって、数学だ物理だってやっていたんですよ。
その頃、本屋でたまたま見つけた、宮城音弥さんという精神分析の先生の本が、すごく面白かったんです。そこから河合隼雄さんの初期の頃の本を読んで、心理学への興味が膨らんでいったんです。
しかし大学受験の時には、既に理系で受験するしかなくて、そんな折、大学によっては理系から文系に移るのは難しくないという噂を聞いて、きちんと調べたりすることなく、心理学科へ編入しようなどと考えてその大学を受験したのですが2回とも落ち、結局工学部に進む事になりました。
まあ心理学は好きだったので、ずっと本は読んでいたんですよ。カール・ロジャーズとか、人間性心理学の「人間は成長する生物だとか」もうすごくワクワクして読んでいたら、ちょうどその頃、吉福伸逸さんがトランスパーソナルの本をたくさん出されて。
またそれが面白くてたまらなくて、読み漁っていくうちに、やってみたいなーと思うようになっていた訳ですよ。とにかくいろんな本を読み続けて、そのうちにワークショップに参加し始めました。
「どなたのワークショップに参加されたのですか?」
リッキー・リビングストンさんのゲシュタルトの本をたまたま見つけて、衝動的に買った時に、今までそんなことしたこともないのに、東京ゲシュタルト研究所に電話して、リッキーさんのワークショップはないかと問い合わせたんです。
そうしたら「リッキーさんは帰ってしまったけど、近々日本に来るよ」ということで、いきなりだけど泊りがけのワークに参加することにしたんです。
ものすごく面白くて、食事の時に通訳してもらいながら、「僕は、心理学にはとても興味があるけれど、今はエンジニアだし、カウンセラーになるわけにはいかないから、老後に放送大学にでも行って、老後の楽しみに心理学をやろうと思っています」と言ったら、リッキーさんが「なぜ今行かないの?」と。
アメリカ人は能天気だなーと思いましたよ。「工学部出身で受け入れてくれる大学院なんてないし、大学から始めるお金もないし」と言ったら、「アメリカに沢山あるじゃない」と言うんですよ。
英語大嫌いなんだから、アメリカなんて冗談じゃないとその時は思ったんですが、これが毒のように広がっていって。それから3年くらい経ってからですが、とりあえず会社でも必要だからと英語の勉強を始めまして、徐々に行きたい気持ちが膨らんで来たんですね。
まあ僕は、どうなるか分からないという気持ちもあって、結婚もなかなかしなかったんですが、34歳で結婚して、性懲りもなくワークショップなど継続していて。
TOEFLのメドがある程度経った時に、奥さんに「実は留学したいんだ」と話したら、「貴方はサラリーマンには向いてないからまあいいんじゃない? だけど路頭に迷うのだけはいやよ」と言われまして、路頭にだけは迷わないように頑張って、じゃあ本気でやるかということになった訳です。

「行先は最初からCIIS(カリフォルニア統合学研究所)に決めていらしたのですか?」
そうですね。CIISにした理由は、統合的カウンセリングを一番うたっていたところですし、もともと僕は心理学を専攻していた訳でもなく独学だから、いろんな分野を学べた方がいいだろうなというという考えと、「直感」ですね。「インテグラル(統合的)っていいじゃない!」という感じで。
いろんな本を読むといろんなアプローチがあって、それぞれが矛盾していたりするわけですよ。そうしたら一つに絞るのはマズイのではないかと漠然と思っていましてね。でも他の学校も実は、インテグラルという名前は付いていなくても、統合的に学ぶようにはなっていたので、どこに行っても変わらないとは思いますがね。
「その頃は、折衷主義というような言われ方もありましたが・・・」
そうですね。折衷って何か蔑んだというか、寄せ集め的な感じですよね。中心となる柱が何本か在って、それに必要なものを持ってくるというような考え方があったので、CIISはそれが面白かったですね。
「生活はどのようにされていたのですか?」
貯金を切り崩していったので、激しく無くなってすごかったですよ。バブルの頃でしたので、石油会社は給料もよかったのでお金を貯めることもできたんですけど、貯金がどんどん目減りしていくというのは精神衛生上よくないですね。
「大学院に入られていかがでしたか?」
授業は殆どディスカッションでした。教科書はありますが、予習して理解しているのが前提で、その中の不明瞭なところをディスカッションするというのが授業で、最初から全然入れなかったですね。
サンフランシスコ市内だから、どうせ日本人も沢山いるだろうし、分からなかったらその中の真面目な人にノートを見せてもらおうなどという甘い考えで行ったところが、日本人なんて全くいなくて。後で分かったのですが、インテグラル・カウンセリング・サイコロジーのコースで日本人は僕で3人目だったんですよ。
このおしゃべりな僕が一言もクラスでしゃべれなくて、ホントもう参りました。
ミッドタームのペーパーを出した後に、精神分析のドイツ系の女性の先生に呼ばれて、「貴方は授業中一言も話さないが、大丈夫か? でもペーパーはよくできていた。ちょっと話さないか?」と言われて、カフェで食事したりしたことから、クラスでも段々話せるようになって、2年目にはだいぶディスカッションもできるようになっていましたね。
「何年間いらしたのですか?」
3年半です。アメリカの臨床系の大学院というのは3年が一般的ですね。最後の年は、プラクティカムというのがあって、これは実際に、カウンセリングオフィスにフルに勤めて実習をするんです。それと、CIISはいろんなカウンセリングのアプローチを学ばなければいけないということで、科目が多かったんですよ。
「どんな分野を学ばれましたか?」
それはもうありとあらゆる分野を学びました。精神分析、ゲシュタルト、イメージワーク的なサイコシンセシス、ハコミ、トランスパーソナルの理論、精神病理学、認知行動系の戦略的行動療法とか。すごく楽しかったですね。
ヒューマンポテンシャルムーブメントの影響を受けている学生が多かったですが、精神分析は基本だから必修になっていました。あとは、ソマティック系(身体心理学)や、アートセラピーとかね、まあデパートみたいですよね。
「それはすごくお得なコースといった感じですね?」
そうですね。お得でしたね。アートセラピーやソマティックの人も僕らのクラスを取れ、僕らもそちらを取れるような、相互乗り入れみたいなのがありましたね。アートセラピーとソマティックに日本人がいて、やっと日本人とも知り合いになりました。
「大学院を終えられてからは、すぐに日本に帰って来られたのですか?」
いいえ、一か所行きたいと思っていた場所があって、そこで研修しました。
サンフランシスコというのは、沢山の人種のいる多文化な土地で、それに対応するカウンセリングオフィスとして「リッチモンドエリア・マルチサービシズ」というのがあって、そこに行きたかったんです。
プラクティカムを受けたんですが、落ちまして、もう一度トライしてダメだったら日本に帰ろうと思っていました。そうしたら運良く受かっちゃたんですね。
面接の時に、まず自分の名前を言ったら、スーパーバイザーが「Yoshiyuki」という僕の名前を言いにくそうにしていたので、「Yoshi」でいいよと言ったら、「日本人の名前には、意味があるそうだが、君の名前の意味は何?」と聞かれたので、「グッドガイだ」と答えたんですね。
実は「グッドガイ」という名前の電気ショップがあったので、「エレクトリカルショップじゃないよ」と付け足したら、そこでドッと受けたんですね。
さらに、「向後(こうご)はどういう意味か?」と聞かれたので、実は向後というのはこれから先、今後という意味なんですね・・・だからfutureだと言ったんですね。
そして、「僕の名前は合わすと、In the future I might be a good guy (将来、いい奴になるかもしれない)」と言ったら、ドッと受けて。「じゃあ今いい奴かどうか、保証はないのね?」と女性の所長が言うから、「そうですよ。だから良い投資じゃないですか」と返したら、「お〜」とみんな反応して、ここで場が和んで、僕の緊張もほぐれて、何だか知らないけど受かっちゃったんですね。
「実際にやってみて、いかがでしたか?」
それはもう大変でした。学生時代のプラクティカムでも散々クライエントを診て、大変でしたが、マルチサービシズの方が、もっと激しかったです。
統合失調症とか、自殺の可能性のある重度の鬱患者とか、数もものすごく多くて、いきなりこれ読んでおいてねと、40-50センチほどの高さにもなるクライエントの資料ファイルを渡されて引き継いで、週5日出勤して、多い時は一日に5〜6セッションやりましたね。
それもヘビーな事例ばっかりで、人格障害と診断されたクライアントから、「お前なんて最低のセラピストだ」と言われたりもしました。ホントいい経験になりました。
「スーパーバイザーが付くのですよね?」
スーパーバイザーは2人付くんです。ホントに今にも死にそうな危機的なクライエントがいる訳ですよ。インターンなのにそういうクライエントを担当する訳です。でもスーパーバイザーにはすぐ連絡が行くようなシステムにはなっていて、何かあった時には、スーパーバイザーが責任を取るようになっている。だからスーパーバイザーも真剣ですよね。
マリーンというふっくらしたおばさんがスーパーバイザーで。「今度こそホントに死んじゃいたいと言ってるんですけど、どういうアプローチをすればいいのでしょうか?」などと相談すると「それは大変ね」と言いながら、いつもポテトチップスをポリポリ食べて。そのかけらが胸のところにたまるその姿を見てると、何となく安心しましたね。
しかし本当に的確なアドバイスをくれました。危機介入の仕方だとか。スーパービジョンはホントに面白かったです。
「お二人付くのはどういうことですか?」
一方に連絡が付かない時には、もう一方の人と連絡を取るという体制です。
学校にいる時にも2人付きましたよ。面白かったのは、あえて認知行動のスーパーバイザーとゲシュタルトのスーパーバイザーを付けて、毎週報告すると「あっちの先生は何て言っていた?」とお互いの探り合いがあるんですよ。「ふーん、そういうやり方をするんだー」と、先生達も喜んでね。
ルールとしては、先生達は僕にアドバイスはするけど、何を採用するかは、僕自身で決められるんです。その結果は2人に報告をするという形でした。
丁度、認知行動療法の第3の波、マインドフルネスと認知行動の統合のハシリの頃ですね。
(次回につづく・・)
向後 善之(こうご よしゆき) ハートコンシェルジュ 臨床心理士
統合カウンセリング学修士
1957年神奈川県生まれ。
石油会社で会社員生活の後、40歳から渡米。
CIIS(California Institute of Integral Studies:カリフォルニア統合学研究所)で学び、統合カウンセリング学修士。
サンフランシスコ市営のRAMS(Richmond Area Multi‐Services:サンフランシスコ市営のカウンセリングセンター)他でカウンセラーとして働いた後、帰国。
現在、恵比寿のカウンセリングオフィスハートコンシェルジュでカウンセラーとして勤務するとともに、カリフォルニア臨床心理学大学院東京サテライトキャンパスで臨床心理学を教えている。
日本トランスパーソナル学会常任理事・事務局長。
- <向後善之先生のHP>
- 【カウンセリングのハートコンシェルジュ】
- <向後善之先生のブログ>
- 【ハートコンシェルジュ カウンセラー’sブログ】
- <向後善之先生の著書>
わかるカウンセリング―自己心理学をベースとした統合的カウンセリング
就活でうつにならないための本
ゆるぎない心 を作る8ステップ おとなの悩トレ!
人間関係のレッスン
インタビュアー:鈴木明美(すずきあけみ)

セラピールームChildren主宰、Team Oasis 代表
自分がなんだか分からない。何かやりたいけど、見つからない。
心の悩み、病を抱えた方、自己実現したい方のお手伝いをいたします。
心理カウンセラー、ゲシュタルトファシリテーター、NLPセラピスト、
交流分析士1級、レイキヒーラー
HP:江戸川区西葛西、セラピールームChildren
ブログ:セラピールームChildren
インタビュアー:前田みゆき(まえだみゆき)

身も心も魂も輝やくように、いつも笑顔を心がけています。
人とのご縁で、気づかされることが喜びです。
自称 遅咲きさん
コーチングと心と体の健康について、もっか勉強中
インタビュアー:脇坂奈央子(わきさかなおこ 日本メンタルサービス研究所 所長)

『道開きの心理士』 ……本来のあなたの道を開く、お手伝いをします。
ブライアン・ワイス博士直伝の、プロフェッショナル・ヒプノセラピスト。
前世療法・催眠療法を中心に、ニーズに応じた各種心理セラピーを施療。
心理士、認定THP心理相談員、統合心理セラピスト、心理カウンセラー、
米国NGH認定ヒプノセラピスト、認定キャリアコンサルタント、
代替療法セラピスト(レイキティーチャー)
HP:ワイス博士直伝の前世療法・催眠療法・心理療法★ラポール
発行メルマガ:こころの栄養@さぱりメント