第78回目(3/4) 関 則雄 先生 日本クリエイティブ・アーツセラピー・センター

アートの力を過信する、セラピスト側の自己愛の問題

インタビュー写真

「その表現活動に、セラピストはどんな風にかかわっていくのでしょうか?」

いい質問です。今、気づきの例で言いましたが、現実って単純じゃないんですね。

というのは、自分で描いたものは自分で知ってますね。逆説的ですが、だから気づけないんです。だって、「これはなんですか?」と聞いても「それは、どこどこの風景です」で終わりです。確かにその風景を描いたらその人の意識ではその通りなんです。

しかし同時に無意識からのメッセージには気づいていません。なぜなら、意識されてないものこそが無意識ですから。

ですからその時に、もう1つの“立ち会ってくれる眼”が必要なんです。それがセラピストの役目なんです。

誤解されやすいのは、この眼は、良い悪いを言う眼、咎める眼、評価する眼ではないんです。このような眼は、心理学でいうところの超自我の眼です。人々はこの眼におびえ、打ちひしがれて、心の病気へと追いやられるのです。

「評価・批判の眼?」

そうそう。誰でも程度の差こそあれ内側にそういう眼があるんです。これは、親の価値観や期待などを“眼”という象徴的な形で自分の中に取り入れたものです。アートセラピーではその反対に、共に見つめ、一緒に存在を丸ごと受け止めて立ち会ってくれるっていうかな、そういう眼の役割を、セラピストがやってあげるんです。

だから、ここに1つ大きな論点があるんですけれど、アート自体が癒しであるならば、アーティストは皆、癒された人達であるはずなのに、逆にドラッグに走ったり、自殺しちゃったり、というようなことがあります。どうしてそういうことが起きるのかっていう疑問がありますよね。

だから必ずしもアートそのものに癒しがあるわけじゃないんですよ。

つまり、アーティストは制作中、自分で作り出しているものにモノローグをしているから、自分だけで完結しちゃってるんです。よほどの精神的な強さで距離を置き、作品を通して自分と対話できる人達は、世に名を残すような仕事をした人達でしょうけれど、多くは極端な言い方すると、自分のイメージの中で空回りして一人遊びしている。

そこに、もう1つの眼が補助自我として立ち会う。そうしたらそこから気づけると思うんですね。これは心理学的に言うと、子どもと一緒に見つめる母親のまなざしです。

「セラピストは、母親としてのもう1つの眼になるのですね?」

そうなんです。1つ例を挙げます。あるワークショップで、「今までに見た映画で印象深いシーンを絵に描いてください」というテーマで絵を描いてもらいました。描き終えてからのシェアリングの時に、ある女性が「モーゼの十戒の絵を描きました」と紹介しました。あの有名な、エジプト人に追われ、ユダヤの民を率いるモーゼが、行く手をさえぎる海を真っ2つに分けるシーンです。

本人の意識は、当然その映画のシーンを描いているつもりです。そこまでなんですよ。でも私は「その絵の上下をちょっとひっくり返してみてください」と言いました。「何か見えませんか?」と。そしてじーっと見てたら、「あー」と声を上げました。そこに見えたものは、女の人が両足を広げ子どもを産んでいるところ。出産の場面の絵になっている。

あとから本人に聞いたんですが、実は彼女は3か月前に子どもを産んだばかりで、それを契機にいろいろ問題が起きてきていた。そして、その過程でアートセラピーの体験セッションに参加したというわけです。

ここで私がやったことはただ、「ひっくり返してみてください」と言って、別な視点で見てもらっただけです。しかし、そういう視点は自分一人では、何年見つめていても出てこないかもしれないですよね。

「さかさまにして、というのは技法ではないですよね?」

それはその時の直感ですかね。それを得るにはある程度経験が必要ですよ。私も患者さんや一般の人の絵を7万点くらい見てきました。しかしながら、最終的にその本当の意味を理解でき、理解するのは本人しかない。これは鉄則です。

いくらこちらがそう思っていても、本人が納得して腑に落としていなければ正解じゃない。だからアートセラピストっていうのは、クライエントとともに立ち会って、「こういう見方もできるよ」っていうことをアドバイスしてあげて、気づきのきっかけを提供していくというだけです。

「お決まりのパターンや方法ではないですね?」

ないですね。ただ、この人は感情をすごく抑えてて、出せないでいる、そういう人にだったら、絵の具や粘土を使ってみたらとか、素材を変えるアプローチをやることで開いていくこともある。だから素材のことも知らないといけない。

難しいのは、タイミングですね。病気は即、困った悪いもの、だから治さないといけない、というものではない。病気自体が守っている何かもあるわけですよ。

だから病気自体も丸ごと受け入れて、その絵をちゃんと理解していく。だから、外からはがすんじゃなくて、受け入れることにより、不要になったら内側からはがれていくというイメージですかね。悪いところがあるから除去しようとか、そういう外科的なアプローチはしないです。


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「アートセラピストになるには、知識の学びだけでなく、深い感性や心の在り方が必要と感じたのですが、どういう方が向いているとお考えでしょうか?」

難しい質問です。それに応えると、限定してしまいそうで・・・。でも、頭だけの人はダメです。直感力と共感力があり、状況を見て瞬時に動ける人が理想ですけど。

先ほど、「アートセラピーは技法でない」と言いましたよね。ですから、そのようにはアートセラピーを受け取っていない人であること。コピペの人はダメです。最初から、自分の創造性に蓋をしている。まあ、最初は仕方ないですけど。

ですから、とかく本末転倒になってしまうのは、アートセラピーを資格の1つとして考えて、「とりあえずアートセラピー、何かスタイリッシュで聞こえもいいしね」と思ってこの世界に入ったら、それは後で大変な苦労をすると思います。

すごく逆説的なんですけれど、私がたくさん講座やセッションをやっていて感じるのは、目を輝かせて、「アートセラピーで人を救いたい」「アートセラピーこそ私の天職の気がします」と言っている人ほど、これは?と思う人が多い。

「それはどういうことでしょうか?」

このような人は、アート指向の人に見られがちです。つまり、アートから来る人は、アートの力を過信する。アートで何か変えられると思ったら、それは自分の過度の思い込みですね。

その思い込みはどこから来ているかというと、まだ未解決の自己愛の問題。それをきちっとクリアしてないとダメですね。これは、アートセラピストも、ミュージックセラピストも、ダンスセラピストも共通に陥りがちなテーマだと思います。

「セラピスト側の自己愛の問題ですね?」

「私のアートの力で、人々を救いたい」という、無意識の動機が見え隠れするんです。そうすると、自分の自己愛のために、患者さんを自分のために使うことになる。

自分がアーティストとしてやることを断念して、だから今度は患者さんを使って、患者さんにうまい絵を描かせようとか、ダンスセラピストだったら、舞台での観客を断念した代わりに患者さんにそれを求める。これらは、無意識のレベルでの行動化として現れてきます。

反対に、心理からの人はアーティストのような自由さがなくて、縮こまってしまって、全部マニュアル的にしてしまったり。ベースにある考えが診断的で、絵で何が「読めるか」みたいな関心が主でやっていたり。

ですから、例えばコラージュでも、別にコラージュだけ取り出してことさらコラージュ療法なんて言わなくても、普通に絵を描いて写真貼ったり、箱を使って貼ったり自由にやってるんだけれども、日本では別個の世界になってたりしますね。

あと、素材やアプローチを変えればもっといろいろな表現ができるのに、毎回同じパターンで同じことをやるとか。本人自身が体験してないから、できないんだと思うんですけれど。

「遊びや幅がない?」

そう、それも、“真剣”に遊ぶ、というイメージでしょうか。それは決して、ダラダラとした遊びではないし。ただ、酔っていてはだめなんです。

この「酔う」というのは、「自己愛」でもありうるし、「セラピストしてのアイデンティティー」「自分の信条」「使命感」「権威」「理論へのこだわり」などあらゆるものが可能性としてあります。あくまでも、“シラフ”でありながら、遊びの中に身をゆだねていくという感じでしょうか。

ですから、セラピストは遊びに身を投じながらも専門家としての自分の立ち位置を失わず、観察し続ける眼も同時に保持し続けなければなりません。

そのためにも、とかくアートセラピーをやるためには、客観的に状況を把握する専門家としての心理学と病理学の基本的知識っていうのは、知っておく必要はありますね。

この秋から、臨床アートセラピスト養成コースを開いたんですけれど、今までの入門講座と決定的に違うことが1つありまして、発達心理学の授業を入れたんです。そうしたら、クラス全体の気づきや理解の深さが全然違うんですよ。ビックリするくらい。

そもそもセラピーっていうのは基本的に臨床にあるはずなんです。当然のことですけど。でも、アートセラピーのイメージが、日本では別の理解がなされている部分もある。

ゆくゆく別の方向に行ってもいいんですよ。将来の気づきのためのグループワークとか、企業に行って自己表現や、他者交流のための研修にアートセラピーを用いるというのがあってもいいと思いますが、でも基本のことはきちっとやってからそっちに行かないと。

この基本の理解なくして、いきなりそちらだけするということだと、ただのクックブック的マニュアルの世界になっていきますし、危険です。

「ベースとしての発達心理学・臨床心理学が必要?」

その通りなんですけれど、誤解されやすいんですけれど、じゃあそういうのをやればOKかというと、必ずしもそうじゃない。必要条件ではあるが、必要十分条件ではない、ということでしょうか。

資格のこともそうなんです。「資格なんかじゃないんだ」って言うんだけれど、でもやっぱり資格も必要だ。そもそも資格というものはクライエントを守るためにあったはずですよね。専門知識のない素人に勝手に治療行為をやられたら危険だからです。

でもいったん自分達のアイデンティティーを守る組織ができると、その資格は他を締め出し、自分たちの特権を守るものとなる。本末転倒になってしまうんです。今のアメリカ・アートセラピー協会を見ていても、それがまた硬直してきていて、それに対する批判というのも耳にするし、常にどちらかに偏らないことかな。

「偏らないこと?」

偏らないっていうことは、ただ真ん中にいるということじゃあないんです。無視するんじゃなくて両方ちゃんと見ていくこと。両方を常に見ている自分を自覚しているということだと思います。

病気に対する考え方でも、病理に偏った従来の精神医学・臨床心理学への反省から、新しい人間性心理学、トランスパーソナル心理学がでてきた。でもやっぱり、こっちが嫌だからこっちだけに行くっていうのは違うと思うんですね。両方見てほしい。

ですから、アイデンティティーのもつ宿命ですけど、アートセラピストは、将来学会ができ「認定アートセラピスト」という認知されたアイデンティティーを持った瞬間に、制限ができ、その存在が試されるのでしょうね。幸か不幸か、日本はアートセラピーのアイデンティティーの確立が一番遅れてるんですが・・・。

「心理の領域でということですか?」

というより、世界のアートセラピーの広がりの中でです。もうとにかく、アジアでのアートセラピーの広がりはすごいです。韓国は2つも協会ができてるし。中国も香港もベトナムやカンボジア、シンガポール、インドと、トレーニングがスタートしている中で、日本はいまだにアートセラピーへのアカデミックな理解がありません。

「アートセラピーを受けてみたいという方に向けて、どんな良さがあるのか、メッセージをお願いできますか?」

アートセラピーは医者にかかるとか、何かの施術を受けるとかいった、受け身の療法ではありません。絵を描いたりするのはあくまでもその人自身です。その意味で、自らが自分の癒し手となる非常に主体的な療法です。

また、アートでは言葉を用いなくても自己表現をすることができます。ですから、言葉でうまく感情を表現できない子どもや高齢者、あるいは精神科の患者さんにも行うことが可能です。

また作品といった形で思考や感情を外在化させるため、自分の考えをまとめ、整理するのにもいいですし、自己洞察や気づきの手段としては非常に優れたものがあります。これは必ずしも、病気に関したものでなくとも、一般の人の自己発見や自分の人生の意味を追求する目的にも、アートセラピーは非常にパワフルな方法です。

個人やグループでのセッションを体験してみたい方は、私の主宰するアートセラピー・ルーム(多摩蘭坂アートセラピー・ルーム)にても体験できます。

このように、実にさまざまな対象者とニーズに応えられるというのが、アートセラピーだと思います。そして、アートセラピー可能性が驚く領域にまで広がっていくのを毎回発見していっています。

私もまだ、このアートセラピーの一端を知り得ただけですけれど、やっていくと、問われていることは、言葉って何か、見るって何か、コミュニケ―ションって何か、触れ合うって何か、その根源的なことのような気がします。

(次回につづく・・)

関 則雄(せき のりお)  一般社団法人 日本クリエイティブ・アーツセラピー・センター代表
                  アートセラピスト 日本芸術療法学会認定芸術療法士
                  日本集団精神療法学会認定スーパーバイザー

上智大学外国語学部ロシア語学科卒。ニューヨークのプラット・インスティチュートにてクリエイティブ・アーツ・セラピー学科(大学院)卒業。ニューヨーク市立キングス・カウンティー・ホスピタル・センターにアートセラピストとして勤務し、精神障害者へのセラピーに携わる。
1990年に帰国後、碧水会長谷川病院(精神科)にアートセラピストとして勤務、現在に至る。また、1993年よりクリエイティブ・アーツ・セラピー研究会をスタートし、アートセラピーの普及に努める。
2006年10月には実行委員長としてクリエイティブ・アーツ・セラピー国際会議を開催し、大会議長を務めた。
長年にわたり日本芸術療法学会研修セミナー講師、明治安田精神保健講座の講師等を務める。聖マリアンナ医科大学神経精神科および関西医科大学心療内科におけるアートセラピーのスーパービジョンも行なう。
また、東京都教職員研修センター、全国学校教育相談研究会をはじめ、各自治体の教育相談室、フリースクール、養護学校の職員、幼稚園教諭、養護教諭などを対象に数多く行なう。さらに上智大学、日本大学芸術学部、女子美術大学(大学院)での講義を行っている。

現在、アートセラピーのトレーニングと実践の場を広げるための一般社団法人 日本クリエイティブ・アーツセラピー・センターを立ち上げ、代表理事を務める。碧水会長谷川病院精神科アートセラピスト(2010年6月からは非常勤)。女子美術大学非常勤講師。臨床歴25年。

<日本クリエイティブ・アーツセラピー・センターのHP>
【一般社団法人 日本クリエイティブ・アーツセラピー・センター】

<関則雄先生のHP>
【多摩蘭坂アートセラピー・ルーム】

<関則雄先生の著書>
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芸術療法(共著)


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新しい芸術療法の流れ クリエイティブ・アーツセラピー


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practica〈2〉アート×セラピー潮流



インタビュアー:鈴木明美(すずきあけみ)

鈴木明美

セラピールームChildren主宰、Team Oasis 代表
自分がなんだか分からない。何かやりたいけど、見つからない。
心の悩み、病を抱えた方、自己実現したい方のお手伝いをいたします。

心理カウンセラー、NLPセラピスト、日本ゲシュタルト療法学会・GNJ会員
交流分析士1級、トランスパーソナル学会会員、レイキヒーラー
HP:江戸川区西葛西、セラピールームChildren
ブログ:セラピールームChildren


インタビュアー:前田みゆき(まえだみゆき)

前田みゆき

身も心も魂も輝やくように、いつも笑顔を心がけています。
人とのご縁で、気づかされることが喜びです。

自称 遅咲きさん

コーチングと心と体の健康について、もっか勉強中


インタビュアー:阿部理恵(あべりえ)

阿部理恵

キャリエンジョイ代表
自分のキャリア(強み・経験・スキル)を活かして楽しんで生きよう(エンジョイ)
という思いから、「キャリエンジョイ」を立ち上げました。
フツーに働いているけど、ちょっとモヤモヤしている。そんな方々のご相談承ります。

心理カウンセラー・ファイナンシャルプランナー(AFP)・ライター・俳人
HP:自分を知る力.com
ブログ:「カウンセリング受けるほどじゃないけど・・・」と思ったら読むブログ


インタビュアー:脇坂奈央子(わきさかなおこ 日本メンタルサービス研究所 所長)

脇坂奈央子

『道開きの心理士』 ……本来のあなたの道を開く、お手伝いをします。
ブライアン・ワイス博士直伝の、プロフェッショナル・ヒプノセラピスト。
前世療法・催眠療法を中心に、ニーズに応じた各種心理セラピーを施療。

心理士、認定THP心理相談員、統合心理セラピスト、心理カウンセラー、
米国NGH認定ヒプノセラピスト、認定キャリアコンサルタント、
代替療法セラピスト(レイキティーチャー)
HP:ワイス博士直伝の前世療法・催眠療法・心理療法★ラポール
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