第78回目(1/4) 関 則雄 先生 日本クリエイティブ・アーツセラピー・センター

絵を描くことで生き延びた! これが私の原点

今回のインタビューは、日本クリエイティブ・アーツセラピー・センター代表の
関 則雄(せき のりお)先生です。

関先生は、臨床歴25年のアートセラピスト。
日本芸術療法学会認定芸術療法士、日本集団精神療法学会認定スーパーバイザー
でもあり、『臨床アートセラピスト 養成コース』を開講され、後進の指導にも
精力的に尽力されています。

「アートセラピーは技法ではない」とおっしゃる関先生に、
「遊びと癒し」「アートセラピーの魅力と可能性」
「セラピストとしての在り方」などについて、深いお話を伺いました。

インタビュー写真

「先生は、小さい頃から絵がお好きだったのですか?」

そうですね。新潟の長岡で育ったのですが、小学校1年生の時に、駅近くのデパートでウィンドウに絵を描くというのがあって、それに選ばれて行く予定でした。でも、熱を出して行けなかった。すごく行きたかったという気持ちを今でも覚えています。なので、絵が好きだったのでしょうね。

中学校では美術部に入ったんです。私が3年生の時に「美術部員が2年生の女子しかいない。部長がいない」と聞いて、「それなら入ろう」と3人の仲間と変な下心で入りました。でも美術部の後輩とやり取りした記憶は全くなく、勝手に自分だけでイーゼルを立てて油絵を描いていた思い出しかありません。

あと、自分の原風景みたいなものがありまして、母が買ってくれた画集のゴッホの絵が好きで、何度も見ていました。のちに東京に出て来て別な風景に出会ってから分かったんですが、ゴッホの描いた田園風景が新潟にそっくりなんですよ。

見渡す限り、田んぼ、田んぼ、田んぼで、あぜ道に稲を干すための高い木がずらっと並んでいたり、そして、はるか彼方に森がありまして、その向こうに小高い連山。そういうのがゴッホの麦畑とそっくりでしたね。そこで共鳴していたものがどうもあったみたいな感じでした。

「ではその後は、美術系に進学されたのですか?」

違うんです。高校1年の時に埼玉に引っ越して、そのあと東京の国立に来まして。大学は上智だったんですけれどロシア語をやりました。幼なじみは、「彼は美大に行くと思ってた」と話していたようです。だから、知っている人からは美術の方に行くと思われていたみたいです。

それなのに何で行かなかったかと言うと、絵が好きだからこそ美大に行かない、と気負っていたんです。

「それはどういうお気持ちからですか?」

なまじ好きだからこそ教育されたくない。教え込まれると潰されちゃう、大事にしたいからこそ美大には行かない、そう思ったんですね。

「その後、またアートの世界にというのは、どういうご経緯で?」

兄がデザイン会社の営業をしていまして、大学を出てからそこに呼ばれてフリーで仕事をしたんです。テキスタイルで、高級婦人服の吉忠モードのプリントデザインなどを描いていました。

「ロシア語学科卒ということで、卒業後、迷われたのではありませんか?」

時代が学生運動の時代だったんです。なので、私も勉強しないで、市民運動、食品公害問題、原発反対運動など、さまざまな運動を学生運動を含めを5つぐらいやっていたんですね。だから、大学からは煙たがれて、早く卒業してほしいと、むしろ追い出されたような感じでした。

当時、学生運動をやっていた人間は、自分達の理想があって、国や体制に対して批判していたわけです。ところが、やっていって気づいたんだけれど、自分達がそういう組織を作ると、結局それ自体、同じものを作っているんですよ。それに気づいて、最終的に抜けたんです。

その時に一緒に離れた仲間が何人かいて、別れたきりになっていました。それから半年後かな、たまたま大学の前の土手の上で会った仲間から、「○○さん知ってる?・・・郷里に帰って、飛び降りて亡くなったって」と聞かされたんです。一瞬、目の前の風景が止まりました。

そして、気づいたら閉じこもって一連の油絵を5枚くらい一気に描いていたんですね。そして描いている途中、「死ぬって何か」って。

今の自分だって、百年後にはいないし、自分を知ってる人もいないし、これが二百年後、いや、千年後、一万年後、百万年後、・・・自分の存在の形跡すらもない・・・と、思考が高速でめぐり、突然真っ黒いものがドッスーンと自分の上に落っこちてきて、悲鳴を上げたくなるような感覚に襲われるんです。

それは、現実にはほんの数秒なんですが、永遠の時間を持ったもの、つまり死そのものがかぶさってくるような恐怖でした。

その時に、神懸ったように無我夢中でグァーッと描いていったんですよ。自分としては、絵を描くことで生き延びたというか、救われた。後になって、アートセラピーというのを知って、「あっ!あの時の体験が、アートセラピーだったんだ!」って、気がついた。これが私の原点ですね。

「デザインのお仕事からアートセラピーの方に進まれたのは?」

デザインの仕事は1年くらいです。あの世界は大変ですね。そもそも人間の個性って1つしかないでしょう。でも、色々と要求されますからね。次はこんなパターンで、次はこんなパターンでと、頭の中の引き出しをころころ変えるような感じで。そんな中で、バーン・アウトしました。

その後、さまざまな仕事でフリーターをしたり、塾の先生をしたりしながら、版画を中心に創作活動をしていました。

アートセラピーを学ぶことになったきっかけは、私が最初に結婚した相手が、アメリカの大学の修士コースで単位を取り残していたので、結婚後「取り残した単位を取って卒業したい」ということで、一緒について行ったんです。

絵なんか勉強するものじゃないと思っていたんですが、プログラムを見たら、たまたま大学院にアートセラピーというコースがあるのを目にしまして。それがきっかけなんです。


インタビュー写真


「受講されていかがでしたか?」

まず授業の風景ですが、一クラスは10数人で、教師を囲み円陣を作って座ります。平均年齢は35歳くらいですか。日本の大学院とはずいぶん違っていて、学部からそのまま上がるという人は、まずいませんでした。皆すでに社会人として病院で働いていたり、アーティストだったり。

教授陣は、一人を除き全員ユダヤ系アメリカ人で、トップのアーサー・ロビンズという人がいまして、彼を中心に、家族的なまとまりを持っていました。

彼は、戦後間もなく駐留軍付きのサイコセラピストとして2年間横浜に住んでいたことがあり、また、彼の一人息子はなんと日本人と結婚していたんです。そんなこんなで、日本にすごく親しみを持っている人でした。

しかし、教師としては厳しいところがあり、学生によっては賛否両論分かれましてね。ぶつかる学生もいれば、素晴らしいと言う生徒もいて、カラーの強い先生でした。私にとっては、ぶつかって行ったら、それにきちんと応えてくれる、そういう先生でした。

今でも強烈に思い出すんですが、ロビンズ教授の最初の授業は、「あなたの中の、デプレッション(うつ)、パラノイド(妄想)、スキゾイド(分裂質)を描きなさい」というものでした。つまり自分の中にある病理を絵に描け、ということです。

学生がずらっと描いた絵を並べたのですが、そうしたらそのロビンズ教授が真っ先に私の絵を見つけて、「その絵について話してください」と言われて。それをクラス全体で取り上げて、最初のアートセラピーの授業がスタートしました。それが最初の授業の記憶です。

「何年くらい学ばれたのですか?」

コース自体は2年ですが、まず2年では取れないですね。私は3年かかりました。単位が50数単位。すごくハードな内容です。

例をあげますと、発達心理学というコースがあります。そこで資料のコピーを配るんですが、厚さがすごくて電話帳くらいあるんです。しかも参考文献が別にずらーっとリストがあり、後期は後期でまた同じだけある。それが1つの授業なんです。・・・もっとも、一番大変な授業ではありましたが。そんな感じですごくハードでしたね。

もうひとつはインターン、つまり研修です。研修が卒業までに、1000時間要求されました。1000時間がどの位かというと、週2回、朝9時から5時まで働いて、それを2年間続けると、ちょうど1000時間くらいです。

「研修は病院や学校などですか?」

はい。インターンのコーディネートをしてくれる先生がいて、インターン先の資料がびっしり入っているファイルを持っていて、「あなたは、ここに行ったら」と紹介してくれます。1980年代後半でしたが、70年代初めに大学がスタートしていますから卒業した先輩達がいろんなところで働いているんですよ。それぞれの病院や施設でそうした先輩達が受け入れてくれるんです。

スーパービジョンというと日本では誤解されるんですが、そこでは、ケース(症例)を持って、それがどうだったかを話すのがメインではなくて、むしろその時の自分自身の気持ちを話し、それを通して問題に向き合う。そういうのを一緒になってワークしてくれたり、話し合うんです。

「指導というより、支える感じでしょうか?」

そうです。日本では指導になっちゃっていますが。誰でも人間ですから、患者さんと同じような問題を抱えている。自分自身の大変なこと、親との関係とか、そういうものが患者さんやクライエントとのワークの中で浮上し、処理しきれなくなったりした時に、スーパーバイザーが一緒に向き合ってくれる。

そのプロセスの中で、その場合こういう風にしたらどうだろうか、とかの技術的なサジェスチョンはありますけれど。

それでリッチなのが、常に複数のスーパーバイザーが2人いたことです。1人は、インターン先の病院にアートセラピストがスーパーバイザーとしています。2年目はまた場所を変えなくてはいけないんで、1年ごとに代わるんで、トータル2人のスーパバイザ―につくことになります。

もう1人は、大学に戻ったら大学の授業でのグループ・スーパービジョンがあり、指導教官のスーパーバイザーがいます。学生は皆それぞれインターン先が違うので、それは週末にあるんですけれど、他の学生がそこでどういうことをやっているか、というのが勉強になる。

私の場合は、学生5人+先生で円陣を作り、グループ・スーパービジョンを受けました。そこでは、自分自身と向き合わざるを得ない。だから、それが大変で・・・。私にとっては、一番大変なのは言葉の問題かと思いましたが、次の学年に上がった時、同じグループの5人のうち3人が退学していました。つまり語学の問題ではないんですね。

突きつけられるものがあまりにもしんどい。というか、アートセラピストになることが、果たして自分に向いているかどうかも、授業を通して問われ、ふるいにかけられます。

「その時には、アートセラピーの世界で生きて行こうと決めていましたか?」

夢中でした。でも、楽しかったですね。あの学びの場の雰囲気や自由な気分は日本では体験したことがなかったですね。

「日本とは、どんな違いがあるのでしょう?」

日本では教育。知識を教え込むと言った感じですが、アメリカは円陣になって、教師に対しても対等にどんどんぶつかっていくんです。

私も色々なところで講義やセミナーをやっていますが、日本では「質問は無いですか?」と訊いてもたいていシーンとしています。アメリカでは途中から会話に入り込むのが大変なくらいに、発言があります。次にしゃべろうと思っていても、1人が終わるか終らないかのうちに次の人が発言する。日本人から見たらたたみかけるような感じですね。

あと、日本では質問する時にあてたりしますが、アメリカはそういうことが無いので、一言も発言せずに単位を取ることもあり得るんです。相手から促されて話すというのはないですから。

このような自由さっていうのは、日本では体験が無かったですね。向こうでは、肩書きのある教授も学生もファーストネームで呼び合いますしね。その中で、「学ぶってこういうことだな〜」と思った。それが原点ですね。それを通してアートセラピーを学びました。

(次回につづく・・)

関 則雄(せき のりお)  一般社団法人 日本クリエイティブ・アーツセラピー・センター代表
                  アートセラピスト 日本芸術療法学会認定芸術療法士
                  日本集団精神療法学会認定スーパーバイザー

上智大学外国語学部ロシア語学科卒。ニューヨークのプラット・インスティチュートにてクリエイティブ・アーツ・セラピー学科(大学院)卒業。ニューヨーク市立キングス・カウンティー・ホスピタル・センターにアートセラピストとして勤務し、精神障害者へのセラピーに携わる。
1990年に帰国後、碧水会長谷川病院(精神科)にアートセラピストとして勤務、現在に至る。また、1993年よりクリエイティブ・アーツ・セラピー研究会をスタートし、アートセラピーの普及に努める。
2006年10月には実行委員長としてクリエイティブ・アーツ・セラピー国際会議を開催し、大会議長を務めた。
長年にわたり日本芸術療法学会研修セミナー講師、明治安田精神保健講座の講師等を務める。聖マリアンナ医科大学神経精神科および関西医科大学心療内科におけるアートセラピーのスーパービジョンも行なう。
また、東京都教職員研修センター、全国学校教育相談研究会をはじめ、各自治体の教育相談室、フリースクール、養護学校の職員、幼稚園教諭、養護教諭などを対象に数多く行なう。さらに上智大学、日本大学芸術学部、女子美術大学(大学院)での講義を行っている。

現在、アートセラピーのトレーニングと実践の場を広げるための一般社団法人 日本クリエイティブ・アーツセラピー・センターを立ち上げ、代表理事を務める。碧水会長谷川病院精神科アートセラピスト(2010年6月からは非常勤)。女子美術大学非常勤講師。臨床歴25年。

<日本クリエイティブ・アーツセラピー・センターのHP>
【一般社団法人 日本クリエイティブ・アーツセラピー・センター】

<関則雄先生のHP>
【多摩蘭坂アートセラピー・ルーム】

<関則雄先生の著書>
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芸術療法(共著)


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新しい芸術療法の流れ クリエイティブ・アーツセラピー


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practica〈2〉アート×セラピー潮流



インタビュアー:鈴木明美(すずきあけみ)

鈴木明美

セラピールームChildren主宰、Team Oasis 代表
自分がなんだか分からない。何かやりたいけど、見つからない。
心の悩み、病を抱えた方、自己実現したい方のお手伝いをいたします。

心理カウンセラー、NLPセラピスト、日本ゲシュタルト療法学会・GNJ会員
交流分析士1級、トランスパーソナル学会会員、レイキヒーラー
HP:江戸川区西葛西、セラピールームChildren
ブログ:セラピールームChildren


インタビュアー:前田みゆき(まえだみゆき)

前田みゆき

身も心も魂も輝やくように、いつも笑顔を心がけています。
人とのご縁で、気づかされることが喜びです。

自称 遅咲きさん

コーチングと心と体の健康について、もっか勉強中


インタビュアー:阿部理恵(あべりえ)

阿部理恵

キャリエンジョイ代表
自分のキャリア(強み・経験・スキル)を活かして楽しんで生きよう(エンジョイ)
という思いから、「キャリエンジョイ」を立ち上げました。
フツーに働いているけど、ちょっとモヤモヤしている。そんな方々のご相談承ります。

心理カウンセラー・ファイナンシャルプランナー(AFP)・ライター・俳人
HP:自分を知る力.com
ブログ:「カウンセリング受けるほどじゃないけど・・・」と思ったら読むブログ


インタビュアー:脇坂奈央子(わきさかなおこ 日本メンタルサービス研究所 所長)

脇坂奈央子

『道開きの心理士』 ……本来のあなたの道を開く、お手伝いをします。
ブライアン・ワイス博士直伝の、プロフェッショナル・ヒプノセラピスト。
前世療法・催眠療法を中心に、ニーズに応じた各種心理セラピーを施療。

心理士、認定THP心理相談員、統合心理セラピスト、心理カウンセラー、
米国NGH認定ヒプノセラピスト、認定キャリアコンサルタント、
代替療法セラピスト(レイキティーチャー)
HP:ワイス博士直伝の前世療法・催眠療法・心理療法★ラポール
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