第71回目(1/4) おのころ 心平 先生 自然治癒力学校

治る事にOKを出せていなかったのが、「必ず治る」と心底思えた!

今回のインタビューは、「ココロとカラダ塾」を全国展開されている
自然治癒力学校理事長、おのころ 心平(おのころ しんぺい)先生です。

先生は、ボディ・サイコロジストとして、
18年間、2万件のカウンセリング経験から
ココロとカラダつなぐメッセージを発信し続けていらっしゃいます。

自らを「社会事業家」とおっしゃるおのころ先生に、
新刊『病気は才能』で伝えたかったもの、病気の意味、
そして、今後の夢や展望などについて熱く語っていただきました。

インタビュー写真

「先生はサッカー少年だったそうですね?」

今は淡路島に住んでいますが、子ども時代は、下関、広島、大阪と引越しが多く、中々友達もできない生活をおくっていました。

そんな中、広島でサッカーを始め、その後大阪でも続けたのですが、学校の部活ではなく、「大阪で優勝を目指す」結構強いクラブチームだったので、軍隊並みに合宿もあり、すごく鍛えられました。

6時起きで朝練に行き、放課後も練習。土日は他流試合とういう生活で・・・サッカー少年でしたね! その成果もあって、4年生の時には試合に出場できるほどになりました。

それが、5年生になる春休みに、風邪をこじらせたような症状で体調を崩して、母親に病院に連れていかれました。その時かなり顔が黄色くなっていたので、医者から一発で肝炎と宣告され、「緊急入院!」となったのを、今でもハッキリ覚えています。

肝臓というのは、健康な状態であっても、立っていると常に重力の影響を受け続けているんです。まして黄疸がでている状態の肝臓は炎症も激しくなるため、絶対安静を余儀なくされました。遊びたいさかりの子供が、個室で家族以外面会謝絶となったわけですね。

「その時はどんなお気持ちでしたか?」

サッカー少年として、仲間に囲まれた生活から一変して、自分の世界には、両親・先生・看護婦さんだけの個室に隔離となったのですから、子供心にも辛い記憶として残っていますし、両親も切なかったでしょうね。

新学期が始まり、クラスメイトから届いた千羽鶴が、さらに追い討ちをかけましたね。「僕は死んでしまうのかな?」と、自分の命が間もなく終わってしまうのが恐ろしくて、心は耐え切れなかったんでしょう。だんだんおかしくなり、暴れてしまう事も度々でした。

今だからよくわかりますが、心に希望があることが、身体にとってはなにより大事なんです。隔離された状況は、ホント良くないですね。世界と切り離されて、心の希望も消えてゆき、気力も体力も失っていきました。病人というのは、こうして作られていくのかもしれません。

病人という心の状態は、社会からの隔離なのだと思います。

「どうやって、心の希望を取り戻していかれたのですか?」

両親の強い思いがあったからです。両親や看護婦さんが、どれほど励ましてくれても、その時の僕には何も響かなくなっていましたので、なんとかせねば・・・と思ったんでしょうね。

「どうしたら、この子に希望を持たせることができるのか?」「何が一番の励ましになるのだろう?」と、必死で手を尽くしてくれたようです。

僕はサッカーをやっていたから、当時日本をオリンピックで銅メダルに導いた、今のセレッソの前身、ヤンマーディーゼルの釜本邦茂選手、野球でいえば当時の王、長嶋選手という存在ですよね。その釜本選手に手紙を書いてくれたんです。

そしてある日、僕が点滴をガラガラ押してトイレから戻ると、ちょうど僕の目線の位置に色紙があったんです。「何だろう?」と思って手に取って見ると、なんと釜本選手直筆のメッセージでした。演出好きの両親が、僕を驚かせようとコッソリ置いてくれたんですね。

ドキドキしながら手に取ると、「がんばれ」と書かれていて・・・。実はこれ本当に偶然なのですが、釜本選手も同じ病気を経験していたんです。

さらに一番必要としていた言葉が、僕の中に飛び込んできました。

「13年前に同じ病気にかかりました。この病気は必ず治る病気です。だから早く治して再びグランドに立ってくださいね」そう書かれたメッセージを読んだ時・・・、病気以後はじめて心に希望を取り戻した瞬間でした。

「この病気は必ず治る」誰も言ってくれなかった言葉。母親も看護婦さんも、何度も「大丈夫よ」とは言ってくれたけど、僕の心には届かなかった。

当時、あれだけ活躍していたサッカー選手が、同じ病気を経験し、克服していたということが、どれほど励ましになったか!「この病気は治るからね」と、さらりと書かれたメッセージが、僕の心に強烈に響いたんです。

今カウンセリングをしていて、自分が治っていいという許可を自分に出せない人がすごく多いと感じています。実際に僕も治る事にOKを出せていなかったんですね。しかしこの時は、「この病気、治ってよし! OK」と、太鼓判を押された感じでした。

「治るスイッチが入ったという感じですか?」

この病気は必ず治る! 寸分違わず心底思えたんです。100%疑わずに信じきれるという、僕にとって最初で最後かもしれない程の体験でした。あの時の信念が僕にとってかけがえのない財産になったこと、今でも感謝しています。

そこから1か月の間に急に数値がよくなって、お医者さんがびっくりしていました。そのままいけば激症肝炎という状態でしたので、タイミング的にも奇跡的だったんでしょうね。

リハビリ後、再びサッカーチームに戻り、6年でレギュラー復帰を果たしました。その勢いと共に、僕のチームは、大阪府内200チームの頂点まで上り詰めました。

病気を克服し、復帰したチームで活躍して優勝! 僕は、その時の優勝トロフィーを持って、お礼と優勝の報告に行こうと決めました。チームメイトには、必ず返すからと、頼み込んでね!

「会いに行かれたのですね?」

ええ。ヤンマーディーゼルに会いに行ったら、待っていてくれました。「君か、覚えているよ」と言って頭をなでてくれました。「優勝しました」ってトロフィーを見せたら、「やったね〜!」ってすごく喜んでくれて、本当に感動的でした。新聞の取材も入って夕刊に載りました。

「釜本選手が肝炎をやっていらしたことを、ご両親はご存知でなく、偶然だったのですか?」

はい、偶然でした。2人ともメッセージを読んでびっくりしていましたから。あれは本当に命を救ってくれた言葉でした。

「その時は、まだ心の仕事へとは考えていらっしゃらなかったのですか?」

はい。僕はJリーガーになりたかったので。再びもらった命だから、僕もプロサッカー選手になって、子ども達を励ますことができたらと、がんばっていましたね。


インタビュー写真


「その後、心の仕事に進まれた経緯を教えていただけますか?」

高校は、ほとんどが東大・京大を目指すという公立の進学校に入りましたが、サッカーもインターハイに行くほど強かったんですね。当然すぐに勉強が追いつかなくなってきた僕のよりどころは、やはりサッカーで、一年のうちはレギュラーでがんばっていました。

ところが、ある日レギュラーも外されてしまったんです。勉強もできないうえにレギュラーも外され、よりどころだったサッカーを失ってしまったんです。

「俺、全然ダメじゃん」と、失意でしばらく家出をしました。九州まで逃げました。高校2年生で、初めて住み込みのレストランでバイトをしました。

一般の高校生とは全く違う環境で、「自分ってなんだろう」と考えました。でもその時、お客さんやマスターと話をしながら、1人で自分の人生を考える機会ができたことが、いろんなキッカケを作ってくれたと思います。普通の高校生もバイトはしていると思いますけれど、まったく環境を変えてっていうのが良かったのでしょうね。

「大学の経済学部に進まれたのですよね?」

はい。進学しましたが、何か夢破れた感じがありました。勉強もできない、サッカーもできず、中途半端な気がしていました。ただ高校時代のバイト経験から、社会って面白いと思っていました。

特に行きたい大学ではなかったので、経済学・国際金融学を適当に勉強しながら、大学の体育会チームに入りました。厳しい訓練に慣れていたので、体育会は物足りず、地元の社会人チームに所属しながらサッカーチームを作りました。

僕の他3〜4人が経験者で、残りはずぶの素人。12人ぎりぎりでやっていました。サブがいなかったので、やってほしいことを確実にやってもらえるように、とにかく信頼して任せてみる。すると、任されて期待されると、人はどんどんプロになっていくんですね。この時に役割を与えるという面白さを知りました。

この仕事は俺にしかできないと、見事に皆、期待に応えてくれました。それで、社会人チームで優勝してしまいました。すごいでしょう。相手も結構な強豪でしたので、勝ったことに皆でわんわん泣きながら、サッカーやっていてよかったと心から思いましたね。

大学の体育会を辞めて、自ら挑んだ社会人チームで、一から強いチーム作りを経験できた。「自分のサッカーはこれでOK!」そう思えたのできっぱりと、サッカーを卒業しました。もちろん今もサッカーは好きですけどね。

「どんな学生生活でしたか?」

親元を離れて、サッカー以外に、朝は八百屋のバイト、昼間は病院の耳鼻科で薬の調合をさせてもらっていました。患者さんからは、医学生のように見えていたことでしょうね。そこで医療現場のことをいろいろと感じました。

薬の管理を任されていたのですが、その使い方には疑問を感じることも結構ありました。「固定客だから治しちゃいけない」なんて言葉も聞きました。素晴らしい先生もたくさんいるんですが、そんな医療ってなんだろうってその時に思ったのが、今の活動につながっていますね。

夜は体を鍛えるためスポーツジムでトレーナー。深夜は新幹線の線路を調整するバイト。あとは宅配便の深夜バイト。これは体力勝負でしたが、お陰様で学生なのに月に35万くらい稼いでいましたよ。いろんな人と知り合い、社会勉強にもなりました。

何でそんなことを!?と思うでしょうが、せっかく病気が治ったのに、自分の人生が見出せない。サッカー選手にもなれず、勉強もできず、「何やってんだろう俺」と、ワーカーホリックみたいに、ひたすら、自分を追い詰めていましたね。自分はどう社会と関わっていくのか?自分を確認できるものを、学校以外に求めていたんだと思います。

そして、いざ就職・・・という時にいきなりバブル崩壊となり、就職氷河期になったんですよ。でも、そのおかげで真剣になれた。そして、うちの大学からはあまり行かないような商社から内定をいただいたんです。

「商社に内定して、その後は?」

それが、病気をした時から、「何か燃えることがやりたい!」という漠然とした思いがあり。「これでいいのか?」という気持ちが芽生えて。

早めに内定したのですが、何かもの足りず、とにかく社会人としての知識を身につけようと思い、本を読みまくりました。半年で100冊くらい読んだ中の1冊が、僕の人生を変えちゃったんですね。

その本は、「心と体は繋がっている。体は心の力で・・・」って、説いている本でした。あの本と出逢わなければ、今の僕はここにいなかった。それを読んだ瞬間、「俺も自分の心の力で、病気が治った経験がある」と、思い出したんですよ。

自分の人生を決める就職って瞬間に、その本に出逢った。「そうそう。俺はこれやるんだった!」と。忘れていた熱い思いが蘇ってきて、居ても立ってもいられなくなって、著者の事務局に電話したんです。

土曜日で普段は誰もいない事務所に、その日に限って忘れ物を取りに帰って来た著者ご本人と、直接繋がったのです。ご縁だったんですね!

「内定もらっているのですが、就職浪人してでもそちらに行きたいんです。受け入れてもらえますか?」と聞くと、「うちは新卒採ってないから。まあ落ち着きなさい!」と言われて。

「ではその時はもう、そこで働きたいと思われていたのですか?」

「どうしたらこの仕事ができますか?」と食い下がってみると、「そんなに言うなら思いを作文にしてみなさい!」と言われて、その日のうちに10枚めいっぱい想いを書いて送りました。そうしたら連絡があり、面接をしてもらえることになりました。

商社に内定していたので、むちゃな要望というか、本当はやってはいけない行為だったんですが、絶対やりたい仕事だったから会いに行ったんです。

「お会いになって、いかがでしたか?」

ドキドキしながら面接に行くと、「作文に感動した! 君にそんな人生の経験があって、この仕事に打ち込みたいと言うなら、受け入れてもいい」と言ってもらえたんです。

「ただし、3つ条件がある。 1.内定もらった会社へちゃんと義理を通すこと。2.大学の教授にきちんと報告すること。3.両親にきちんと承諾を得ること」と言われましたが、皆の猛反対にあい、3つとも条件をクリアできなかった。

「就職先も決まっているのに、わけのわからん仕事をやりたいとは何事だ!」と。内定先の商社からも「もう営業に配属が決まっているのに内定を蹴るなんて、社会人としてどうなのか?」と、半ば監禁されちゃった。

自分が大病して、いろんな励ましによって克服した経験があったから「これこそ自分の使命だ。自分のやりたい仕事だ!」と決意は固かったけれど、同時に自分自身の人生を決めるのってすごく大変なのだと知りました。

でも、そこまでしなければ自分の人生がわからない、ということも納得しました。周囲がどんなに反対してもやりたいと自分が思えることに出会えるのは、すごく大切なことだと思いました。22歳で覚悟を決めての選択は本当に偉大だった、よくやったと思いますね。

結局・・・「全然ダメでしたけどいいですか?」と言ったら「そんなにやりたいなら、うちに弟子入りしなさい」と、なんとか内弟子にしていただけて、就職もさせてもらえたんです。

(次回につづく・・)

おのころ 心平(おのころ しんぺい)  自然治癒力学校理事長
                         ボディ・サイコロジスト

カラダをリーディングし、そのメッセージを自然治癒力発動と人生を才能化させるスイッチに活かす方法を指導する、異端のプロフェッショナル・カウンセラー。
1971年生まれ。自身、小学校のサッカー少年時代、大病を患うが、当時サッカー日本代表だったある選手のはげましのおかげで九死に一生を得る。このときの「自然治癒力体験」が、のちの人生に大きく影響する。
大学卒業後、ココロとカラダをつなぐ「生命場共鳴理論」を学び、22歳からカウンセラーとしての仕事に従事。以来、カラダに現れるさまざまな症状をその人の「潜在意識の欲求」として読み解く手法が話題を呼び、全国から予約が殺到。18年間で、2万件以上のカウンセリング件数の実績をつむ。
2008年、一般社団法人自然治癒力学校を設立。同理事長に就任。
ワークショップ型のおのころ心平の「ココロとカラダ塾」を全国展開し、カラダのメッセージをハッピーな人生へと変換していくココロの生活習慣指導、月との調和、自然との調和による「自然治癒力スイッチ」の押し方指導などを行なっている。

<おのころ心平先生のブログ>
【ココロとカラダの交差点】

<自然治癒力学校のHP>
【一般社団法人 自然治癒力学校】

<おのころ心平先生の著書>
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病気は才能


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「きれい」をつくる ココロの処方箋

インタビュアー:鈴木明美(すずきあけみ)

鈴木明美

セラピールームChildren主宰、Team Oasis 代表
自分がなんだか分からない。何かやりたいけど、見つからない。
心の悩み、病を抱えた方、自己実現したい方のお手伝いをいたします。

心理カウンセラー、NLPセラピスト、日本ゲシュタルト療法学会・GNJ会員
交流分析士1級、トランスパーソナル学会会員、レイキヒーラー
HP:江戸川区西葛西、セラピールームChildren
ブログ:セラピールームChildren


インタビュアー:前田みゆき(まえだみゆき)

前田みゆき

身も心も魂も輝やくように、いつも笑顔を心がけています。
人とのご縁で、気づかされることが喜びです。

自称 遅咲きさん

コーチングと心と体の健康について、もっか勉強中


インタビュアー:川崎綾子(かわさきあやこ)

川崎綾子

ゲシュタルト・再決断@府中「座★すわろう会」で活動中。グループの中で
お互いにサポートを得ながら、自分らしく癒されるセラピーをしています。
ペンギン好き。趣味はバレエです。

GNJゲシュタルト療法トレーニングコース修了、日本ゲシュタルト療法学会会員
NPO再決断カウンセリングジャパン会員
矢野惣一問題解決セラピスト養成講座(上級)修了
レイキティーチャー


インタビュアー:脇坂奈央子(わきさかなおこ 日本メンタルサービス研究所 所長)

脇坂奈央子

『道開きの心理士』 ……本来のあなたの道を開く、お手伝いをします。
ブライアン・ワイス博士直伝の、プロフェッショナル・ヒプノセラピスト。
前世療法・催眠療法を中心に、ニーズに応じた各種心理セラピーを施療。

心理士、認定THP心理相談員、統合心理セラピスト、心理カウンセラー、
米国NGH認定ヒプノセラピスト、認定キャリアコンサルタント、
代替療法セラピスト(レイキティーチャー)
HP:ワイス博士直伝の前世療法・催眠療法・心理療法★ラポール
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