第66回目(3/4) 岸 英光 先生 エグゼクティブコーチ

褒めるは「評価形」、それでは自尊心が育たない

インタビュー写真

「子育てについて、先生が思っていらっしゃることをお聞きしたいのですが?」

子育てに関しては、これほど全国的に全ての人が目を向けていて、うまくいっていないことは他にないなと思っているんです。

一番は、大人が「勉強をさせよう」と頑張り過ぎている。子ども達は「させよう」と、操作されることには、本能的に反応するんです。そうすると、面白いよって言えば「面白くねーよ」って反抗するし、「その手に乗るもんか」となって、裏目に出ている部分がある。

もう一つは、結局、これだけ多様性とかダイバーシティとか言われながら、全然多様性のない教育をやっている。だからそれ自体を変えないとどうにもならない。

海外では、授業がない学校とか、課目が決まっていない学校とか当たり前にある。日本だと授業とかどこかで全部決めちゃっているんです。他にできることがあるとすれば、どれだけ周りの大人がそうじゃない生き方を見せられるか。仕組みが変わるのは最後だと思うんですよ。

企業が人の採り方を変えれば大学や高校が変わるし、高校が変われば小中学校は変わるし、あとは、一番元の、親子の関わりが変われば、小学校や中学校に期待することも変わる。両側を締めなきゃならないと思うんですよ。

だから、今は小学校とか企業とかに力を入れているんです。真ん中は最後です。初等教育と企業に意識改革してもらえれば、あとはついていくんじゃないかなと。

「“褒める”については、どうお考えですか?」

僕は「褒める」っていうことがどれだけ危険か、という話をよくしているんです。
褒めると認めるの違いが分かっていない。下手に褒めることで、うまくいかない状態を作っている。

企業でもそうで、褒めて部下を伸ばそうなんてするから、つけ上がってみたり、依存してみたりになって、結果的に価値が持てない。

評価と承認の違いが皆分かっていない。評価は褒める、承認はされるもの。両方とも、他人から与えられるものの話になっているけれど、本当は「自分が、その組織で価値ある存在だ」って自分が認めなきゃいけないと思うんです。

他人から得られる承認は時々は良いかもしれない。でも、皆が死んでも、誰にも分かってもらえなくても「俺はこんなことやった」って自分で思える。それが自己実現ということでしょう。

「自分が自分を認める、ということなのですね?」

でも今はどれだけ他人が「承認してあげるか」「上司が承認してあげましょう」と。しかも「承認」と「褒める」がこんがらがっているから、褒めましょう、となってしまっている。

主婦向けカルチャーセンターなんかでは旦那さんを褒める講座というのが流行っているらしいですよ。危険だなぁと思う。操作の手法に走ってしまっている。

「認める」という作業は、本当は、認める人間の意識が問われるものなんですよ。その子にはこういう部分があることが見える、ということなんです。大概の親は「ない」ことを見ている。さらに言えばそれを評価で見ている。偉いとか、すごいとか、何点だとか、何位だとか。

でも本当は個人個人は全部違っていて、持っている能力は全部別なんです。個々のことが見える大人にならないと、本当の承認もない。

その見方自体を教えてあげると、子どもも自分の中に「これがある」と見えて、自己承認ができる。自己承認とか自己肯定感、と言うんですけれど、本当は自分の中で完結しないと嘘だと思うんです。

そこまでを社会や企業と、子どもが学校に行くまでの親ができないかなぁと思っているんです。その「褒めない子育て」という話は学校を主眼にして、先生の研修でもよく話します。

「“褒める”と“認める”の違いは、分かりにくい部分だと思うので、詳しく教えてください」

まず「褒める」というのは主語が「あなた」で「評価形」。この2つの要素です。「あなたは良い子ね」「あなたは偉い」パラダイムで見るとそれがはっきりとしているんです。認めるは、正反対で主語が「私」で「認める」というのは「認識」の「認」ですから、現実です。

だから両者の違いは、主語・主体が「あなた」か「私」かということと、扱うものが「評価」というバーチャルなものか、「現実」というリアルなものかの違いです。

一つの例として、子どもが洗い物を手伝ったとする。「○○ちゃん洗い物手伝って偉いね」「あなたは偉い」これは主語が「あなた」で「評価」です。「褒める」に当てはまるでしょう。

実は、これにどれだけの問題点があるかというと、まず「○○ちゃん洗い物手伝って偉いね」ということは「洗い物を手伝わないと偉くない」って話になるんです。「お手伝いをして良い子ね」というのは「お手伝いをしないと悪い子だ」ということなんです。

「確かにそう伝わりますね?」

この時点でもう、人間の育て方じゃないんですよ。つまり、エサかムチで動かしている。良い子というエサのためにお手伝いするか、悪い子というムチが欲しくなければお手伝いしなさいって言っている訳だから、この時点でもう人権問題だと僕は思うんですよ(笑)。

更に、お手伝いして良い子ね、しないと悪い子よ、っていうのは「あなた」に価値があるのではなくて「お手伝い」に価値がある、というメッセージになるんです。

子どもはある段階になると、こういうことをよく言うと思うんです。「結局、ママは私にお手伝いして欲しいんでしょ」「お父さんは結局、俺に勉強して欲しいんだろ」と。つまり、「私」に価値があるのではなくて、勉強とか、お手伝いに価値があるんですよ。

もうこの時点で、自尊心は育たないですよ。さらに、結局自分の価値が人に決められるっていう体験をずっと続ける訳です。人に「良い子」とか「偉い」と言われる。すると、自分は良い子だったり、偉い子だということになる。

また、どこかに「良い子」という基準がある訳でも、「偉い」という人の像がある訳でもないから、結局、子どもは自分が今やっていることが良いことなのか悪いことなのかは、他人から知るしかない。だから自分で決められない。自分では分からない。

「自分で決められない、自分では分からない…」

今の子どもって、何でも、「ママ、こうしていい?」って聞くでしょう。昔の子も、「いい?」って聞くんですが、「いい?」の意味が違っているんです。

昔の子の「〜していい?」の「いい?」は、許可を求めるいい、確認のいい、なんですが、今の子どもの「ママ、お年玉でこれ買っていい?」の「いい?」は、「自分は分からないからあなたが決めてください」なんです。

つまり、「あなたが決めることで、私は決められない」っていう叫びが入っている。更に言えば、そこで「いいわよ」って言われれば、「お母さんがいいって言ったんだから」、つまり、責任転嫁の練習をしている。「ママがこれでいいって言ったもん」って。

「お父さんが中学受験は、国語と算数だから、社会はやんなくていいって言ったもん」「教授がこの会社に入れって言ったんだもん」「上司がこれやれって言ったんだから」、「親が結婚しろって言うから」、完全に自分の決断のない生き方をすることになるんですよね。


インタビュー写真


「確かに責任転嫁の連続ですね?」

そこに自尊心なんかないですよね。自分の選択がない以上、嬉しくもなんともない訳です。


更にもっと言うならば、人に自分の価値を決められる体験をずっとしますから、「良い子」って言ってくれる人にしがみつく。これが「良い子症候群」。最後には自分を失って壊れます。

しかも、この時に問題なのは、結局「良い子」って言われるためにやる、評価のためにやる、褒められるためにやるから、まず一つは、やりたいこととやることが違ってくる。

更に言えば、「良い子」って言われるためには上手くいかなきゃいけないんで、できることしかやらなくなる。できないことは、残念な顔をされるからやりたくない。

最初は伸びるように見えるけど、できることしかやらないからです。そして、できることと、やりたいことが別だった場合はもう最悪です。自分の人生にはやりたいことがない訳ですよね。

そんな中では、自尊心は育たないし、結局、評価は相対的なものですから、誰かが褒められていると、自分の価値が下がった感じがする。褒められている人間をそのままにできない。そこで、いじめが生じる。

だから、褒めて育てろっていう教育論が一般的になった地域ほど、実はいじめが増えていたり、子どもがおかしな壊れ方をしていたりします。教員の世界でも、評価システムが入った後、教員間のいじめが増えたのは事実なんですよ。だから、評価はやっちゃいけないんです。

会社なんかは、最後に評価をしてお給料を決めるのはしょうがないですよ。でも、評価を上げるために、「お前仕事をしろ」っていうやり方をしたり、競わせるっていうやり方をすると、大抵の場合は壊れる。それなのに、学校はずっとそれじゃないですか。

褒められている子どもをそのままにできないから、まずはその子がやっていることを無意味なことにしなくちゃいけない。「あんなことをやったって意味ないよ」「あんな点数を取ったって何になるんだ」。結局、意味のあることから、意味を失くすことを練習する。

「悲しいですね…」

めちゃくちゃ悲しいですよ。だから褒めるの問題点を挙げたら、今の子ども達に起きていることが全部挙がりますよ。とんでもないことになります。

あとは、その子がやったことを引き下げるので、当然、そこに意味があるとは思えていないから、学べないじゃないですか。仮に学べても、自分がやったら今度は自分が引き下げられることを知っていますから、やる訳にはいかない。

もっと言えば、人の上には立てません。なぜかって言ったら、下にいれば責任転嫁できる訳。それから自分で判断ができない。そしてもっと言うならば、下にいないと、褒めてくれる人がいなくなっちゃう。

そうしたら、絶対に主体にはなり得ない訳ですよ。
そして、一番残念なのは、結局自分がいなくなっちゃう。評価で「こいつ、すげーな」って言ってもらえる小さな世界の中で、自分じゃない人間で生きるのが得意になりますね。

でも、そこで相手にされなくなると、大きな問題を起こすという話になる。残念ながら手を下しちゃう子は、いじめに手を出しちゃうし、「良い子」もいじめられてひどくなっている子を見て、その子よりも自分はちょっとは上にいるって安心するという思いを持つ訳です。

人に評価される以上、怖くてしょうがないです。自分でどこにいるか分からないから、リアルな状態を知りたいんです。自分よりもめちゃくちゃな人間がいたら、少なくともこの子よりは上だって、実感できるから、実感を得るために、いじめを黙認するっていうことをやります。

今、世の中で起きている問題はほとんど、褒めるを含めた評価に問題があるんです。

「では、認めるの良い点を教えてください」

認めるは、例えば、子どもがお手伝いをした。お手伝いをしたっていうのは、具体的な現実です。具体的な現実の行動を見て、認める訳ですから、今度はそこに具体的な影響がある。

例えば、子どもがお手伝いをしたら、お母さんがラクになったとか、早く終わったとか、助かったとか。具体的に影響もちゃんと見て、それをちゃんと並べたら、こんな文章になります。

「お母さん、この所忙しくて、読みたい本があったんだけど読めないでいたんだ」これが現実です。「今日、〜〜ちゃんが、洗い物を手伝ってくれたおかげで、(現実でしょう)お母さん時間ができて、本が2冊も読めてね、(これも現実でしょう)、すごく嬉しかったわ。(目の前に喜んでいる人がいる。現実でしょう)」

全て、現実でしょう。

まず、今僕が言った文章の中に、評価語って一個でも入っていましたか? 偉いとかすごいとか無いですね。全部事実で書かれていますね。

今の子ども達が、バーチャルの世界に逃げ込むのは、バーチャルな言葉を大人が使うからです。現実を見なくなっているのは、現実を言葉の中に使っていないから。プラスの質問とか、肯定的な言葉なんて言ってるくらいだったら、まずは現実で言葉を並べないとどうにもならないです。

「現実を語ることが重要なのですね?」

例えば、今の文章だったら、具体的に現実がこうなったっていうのをお母さんが見てないとダメですね。お母さんとの関係においてじゃなくて、現実との関係なんです。

自分がやったことで、現実が動いた。自分のやったことで何かが変わった。自分には何かを変える力があった。自分にはそれだけの能力があった。自分はそれだけの存在なんだ。

自分の変えたことが目の前に見えていることが嬉しい。そうしたら、自分の力を見る観点は、人の評価じゃなくて、現実に向かう訳です。更に、目の前に喜んでいる人がいる。これも思い切り現実じゃないですか。

だとしたら、自分のやったことで人が喜んでくれることが嬉しい。これを貢献っていいますよね。貢献の感覚なんて、教育で教えるもんじゃなくて、人間が元々持っているもんだと思うんです。

教育を受けるはるか前から子ども達は、自分のものを人に与えたがったり、「あそこ工事していたから、通れないよ」って教えてくれたりする。自分の持っている物や情報を人に与えて、その人が喜んでくれることで、それを持っている自分や、それを知っている自分の存在を認められる。

つまり、元々子どもは幼稚園に入る前から貢献っていうセンスを持っているんです。

「あそこの道が通れないんだったら、お母さん別の道を通って行くね」「別の道を通ったから、すーっと行けたけど、あそこの道通っていたら困っていたわ」って言われたら、自分の伝えたことで、お母さんはスムーズに通れたってことになって甲斐があるじゃないですか。

「自分を認められますね?」

でも、「そんなこと知ってるんだ。偉いね」なんて評価にするような馬鹿なことをやる。自分は知識を与えたのに、偉いって言われるから、妙なことになるんです。

褒めるってことで、現実に目がいかなくなって、現実を見れなくなるんですよ。現実を扱える人間に子どもをしたいんだったら、僕らが現実の言葉を使わなければ。偉いとかすごいとか、こういう不明瞭な言葉を使っているうちは、子どもは現実を見る力が上がらないんですね。

且つ、認めるには自分の中で、こうやって上手くいった、こうやったら上手くいかなかった、両方学びになるんですね。じゃあ、どうやってやろうかって発想が出てくる。そして何よりそこから次のモチベーションが出てくる訳です。

人に何か言ってもらわなくても、現実を変えられたことが自己承認になるんです。自分で作りたいものを自分が作れたことが甲斐になったら、一人でも生きていけますよね。依存しなくて済む。

「そして、自分で責任を取れる」

そうそうそう。責任を取る、それが自立です。そこには、自分の発想だから、個性が出てくる。そうしたらオンリーワンになるじゃないですか。

そこでいろいろと発想ができたら、創造性が豊かさになるし、自分で動くから自立や自発性になるし、どうやったらできるかと考える中で、想像ができるようになったり、またそこで創意工夫が始まる。

現実に目を向けているから、人がどう思うかなんてくだらないことに左右されなくていい。


評価されていると、人がどう思うかが基準になる。高校生くらいで、友達とお昼ご飯を食べるのは、友達とお昼ご飯を食べたいからじゃなくて、友達がいないと思われるのが嫌だから、好きでもない友達と食べるっていう子がいる。これっておかしいでしょう。

こんなことを作っちゃうくらいだったら、認めるの方がいいと思うんですね。

よく、学校の先生に話す時に、山本五十六を出すんですよ。山本五十六の「人は、やってみせ、言ってきかせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ」っていうのがありますね。褒めるのが大事だっていうの。

一番は「褒めてやらねば、人は動かじ」でしょう。あれは動かし方なんですよ。操作の仕方です。

「確かに、操作の仕方ですね?」

しかも、もう既にやり方が固まった通りに人を動かす操作の仕方なんです。やり方がもう確立されたものだったら、やってみせ、言ってきかせて、させてみて、おお〜できるじゃないかって褒めてやれば、やれるようになるんですけど、それが限界です。

実はこの句には二番と三番があるんです。

二番は、「話し合い(話し合いですから対等です)、耳を傾け(人の話をしっかりと聴くことですね)、承認し(認める)、任せてやらねば人は育たじ」。

ということは、褒めると認めるは、もう既に違うもんだって山本五十六は認識があって、褒めるのは動かし方で、認めるのが育て方だって、言っているんです。褒めるのは、育てることにならないんだって、逆に言っている訳です。

ちなみに三番は、「やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らじ」。三番は、人の実るプロセスです。

実は、この句は山本五十六のオリジナルじゃなくて、米沢藩主の上杉鷹山っていう哲学者でもあった人の言葉から取っているので、褒めると認めるは江戸時代から別なんです。

現代の方は、褒めると認めるがこんがらがっていますね。しかも褒めるって簡単じゃないですか。「偉いね、すごいね、いい子ね」だったら、現実をつぶさに見ていなくても、影響までもしっかりと見届けなくても思いつきで言える。

「その通りですね?」

結果的に何が起きたかっていうと、認めるがなおざりになって、褒めるばかりになって、弊害が起きてきた。

アメリカのワシントン大学のミューラーっていう先生達が1990年代に褒めて育てられた子どもが伸び悩むっていうのを実験で証明しています。その時だけは、動いた感じがするんです。でもうまくいかないってことは明確になっているんです。

「報酬系には必ず限界が来ますよね?」

そう、すぐに来ます。慣れますし、もっと大きなものは限界がきますし、麻痺します。だからそれをやり続けていることは、問題だなあと思います。

大人の方も、褒めるをやっているから目線が上からなんです。だから僕は、褒めている先生が子どもと対等になんて絶対に無理だと思う。

それを証拠に、上司を褒めるってできないじゃないですか。「部長、今回は決断が早くて、良い子ね」って言ったら怒られるじゃないですか。

でも「部長、こういう分野ですごく困っていたんですけど、今回は即断即決してくださって、仕事しやすくなって、皆喜んでいますよ。ありがとうございます」だったら、怒られないでしょう。

認めるだったら、上だの何だのって関係なくできるんです。実はこの認めるっていうのは、こっちの側にも現実をしっかりと見る力がつくんです。

見る力のある人間の下でだけ、人間は育つんです。でも、見る力のない人間が、偉いのすごいのって言って伸ばしてやっていると、見方の定まらない人間ができるから、結局、先に行けば行くほど、どんどん見えない組織になっていくんです。これをやっちゃっているなって思いますね。

(次回につづく・・)

岸 英光(きし ひでみつ)  エグゼクティブコーチ
                 コミュニケーショントレーニングネットワーク統括責任者

「コーチング/ パラダイムシフト」の第一人者。
岸事務所代表。コミュニケーショントレーニングネットワーク統括責任者。1985年より1992年まで、帝人株式会社にてマーケティング企画・技術開発・営業・システムなどを手がけると同時に、最新の各種コミュニケーション・能力開発などのトレーニングに参加。自らコーチされることを通して日本人に即したプログラムをオリジナルで構築。その後、人間関係や能力開発に関する様々な分野のセミナー・講演・研修・執筆活動を展開。数多くの企業で顧問(コーチ)として活動すると同時に、各地の保育園、小学校、教員研修などでの講演、一般参加者対象の連続講座の全国展開など、機能するコミュニケーションを日本の文化にするべく、精力的に活動中。「コーチング/ パラダイムシフト」の第一人者として高い評価を受け、テレビ・雑誌・新聞でも取り上げられる。講演・講座・研修は、全国で年300回以上。

<コミュニケーショントレーニングネットワークのHP>
【コミュニケーショントレーニングネットワーク(CTN)】

<岸英光先生の著書>
cover
悩んでばかりの自分から抜け出す方法


cover
プロコーチのコーチングセンスが身につくスキル


cover
失敗する子は伸びる


cover
「ほめない子育て」で子どもは伸びる

インタビュアー:鈴木明美(すずきあけみ)

鈴木明美

セラピールームChildren主宰、Team Oasis 代表
自分がなんだか分からない。何かやりたいけど、見つからない。
心の悩み、病を抱えた方、自己実現したい方のお手伝いをいたします。

心理カウンセラー、NLPセラピスト、ゲシュタルトトレーナー、
交流分析士1級、トランスパーソナル学会会員、レイキヒーラー
HP:江戸川区西葛西、セラピールームChildren
ブログ:セラピールームChildren


インタビュアー:前田みゆき(まえだ みゆき)

前田みゆき

身も心も魂も輝やくように、いつも笑顔を心がけています。
人とのご縁で、気づかされることが喜びです。

自称 遅咲きさん

コーチングと心と体の健康について、もっか勉強中


インタビュアー:川崎綾子(かわさきあやこ)

川崎綾子

ゲシュタルト・再決断@府中「座★すわろう会」で活動中。グループの中で
お互いにサポートを得ながら、自分らしく癒されるセラピーをしています。
ペンギン好き。趣味はバレエです。

GNJゲシュタルト療法トレーニングコース修了、日本ゲシュタルト療法学会会員
NPO再決断カウンセリングジャパン会員
矢野惣一問題解決セラピスト養成講座(上級)修了
レイキティーチャー


インタビュアー:脇坂奈央子(わきさかなおこ 日本メンタルサービス研究所 所長)

脇坂奈央子

『道開きの心理士』 ……本来のあなたの道を開く、お手伝いをします。
ブライアン・ワイス博士直伝の、プロフェッショナル・ヒプノセラピスト。
前世療法・催眠療法を中心に、ニーズに応じた各種心理セラピーを施療。

心理士、認定THP心理相談員、統合心理セラピスト、心理カウンセラー、
米国NGH認定ヒプノセラピスト、認定キャリアコンサルタント、
代替療法セラピスト(レイキティーチャー)
HP:ワイス博士直伝の前世療法・催眠療法・心理療法★ラポール
発行メルマガ:こころの栄養@さぱりメント

  • 呼吸法の日本マイブレス協会
  • 毎朝1分 天才のヒント

インタビュー集

  • 毎朝1分天才のヒント メールマガジンで30日間の無料レッスン
  • さぱりメント あなたのお悩みをさっぱり解決