第64回目(1/4) 倉成 央 先生 メンタルサポート研究所

自分が楽になるために「再決断療法」にのめり込んで行った!

今回のインタビューは、『凹まない生き方』『うつにならない言葉の使い方』
などの多くの著書でおなじみのメンタルヘルスコンサルタント
メンタルサポート研究所代表 倉成 央(くらなり ひろし)先生です。

倉成先生は、再決断療法の第一人者としても広く知られ、
ワークショップ、カウンセラー養成で、全国を飛び回っていらっしゃいます。

「心のこと、カウンセリングは大切なものなんだということを広げていきたい」と
おっしゃる倉成先生から、「再決断療法」の有効性や「感情処理」の大切さ、
カウンセラーとしての姿勢や、今後の展望についてお話を伺いました。

インタビュー写真

「先生は小さい頃はどんなお子さんでしたか?」

無口であまり目立たない子でした。おとなしいし、人見知りで。

あとは、たぶん今で言う「多動」に当たると思いますが、授業の時にずっと椅子に座っていることが困難でしたね。どちらかというと問題児の方だったと思います。あまり授業をちゃんと聞けないというような、そんな感じでしたね。

「小さい頃は、大きくなったら何になりたいというイメージはお持ちでしたか?」

全然ないですね。小さい頃は「何で自分は落ち着きがないんだろう?」と思うことが多くて、何になりたいということよりも、普通に大人になれるのかなと不安に思っていましたね。

「高校生くらいの頃の、将来の夢などは?」

「社会人になりたい」とか(笑)。本当ですよ。親が「情けない。もうちょっと大きな夢はないのか」と嘆いていました。とりあえず社会人になれたらいいなと思っていました。

「経営学科に進まれたのですよね。ビジネスに興味をお持ちだったのですか?」

学校であまり適応が良くないので、勤め人ができないかもしれないし、自分で会社でもやった方が良いんじゃないかと思って経営学科に進んだんです。将来的には経営側になろうと思っていました。

「大学で経営学を学ばれていかがでしたか?」

あまり役に立たなかったですね。それよりも社会人経験の方が余程役に立ったという気がしますね。

「卒業後は経営コンサルタントの仕事に就かれたのですね?」

そうです。経営コンサルタントとして会社に6年ぐらい勤めて、それから脱サラして独立しました。

「経営コンサルタントとして会社を立ち上げられたのですか?」

サラリーマン時代に貯めた200万円を元手に、経営コンサルタント業で独立しました。

一般的に、多動傾向は年齢とともに落ち着くと言われますよね。僕の場合も、社会人になる頃には落ち着いてきたんです。ある程度机に向かうことができるようになってきたので、人生で初めて、とにかく毎日猛勉強していたんです。

「それは、経営についてですか?」

経営についても勉強したし、話し方についても。上手な講演のカセットテープを車の中で聞いたり、とにかく勉強ばかりしていました。経営コンサルタント業を始めて、1年後には社員が6名ぐらいになって、結構優良な企業がクライアントになっていたんです。

銀行で支店長向けの研修をしたり、地方便を飛ばしているような小さな航空会社がクライアントになってくださったりで、コンサルタントとしては幸先がとても良かったんですよ。

「では、とても順調なスタートを切られたのですね?」

1年目は順調でしたね。1年経った頃に、もう少し別のビジネスをしようと思って、コンサルタント業は他の人にお任せして飲食ビジネスを始めたんです。

実はそのコンサルタント業をやっている頃に、初めて再決断療法のワークを受けたんです。

「それはどのようなきっかけで?」

友達から誘われました。その頃、企業で研修をやるために交流分析の勉強はしていたんですが、アメリカにいた友達が「本当に性格が変わるカウンセリングがあるけど受けてみる?」と教えてくれたんです。

そんな適当な話がある訳がないと思いながら眉唾で受けたのが、再決断療法を考案したグールディング夫妻のワークショップだったんです。

「再決断療法のワークショップに参加されて、第一印象はいかがでしたか?」

インチキ臭いなと思いました。何か買わされるんじゃないかと思いました。あまりハッキリとは覚えていないけれど、確か20〜30人くらい参加していたんじゃないかな。それがみんな妙に盛り上がっていてね。

でも、せっかく行ったので、自分も手を挙げて真っ先にワークを受けたんです。当時は罪悪感が強かったので、人が怒られているのを見ても自分が悪いような気がして。その罪悪感を無くしたい、というようなワークを受けました。

たぶん15分くらいのワークだったと思います。ワークが終わって、しばらく気持ちはずっと楽だったんですね。

1か月くらい経った頃でしょうか、友達から「倉成、最近『ごめん』っていう口癖が無くなったね」と言われました。そういえばあれから罪悪感が無くなったし、「僕、そんな口癖あったの?」って思って。それから、再決断療法にのめり込んで行ったんです。

その頃はまだ趣味としてやっていました。自分のため、自分を変えるための趣味として。仕事は仕事として本業を続けていました。

「では、個人的興味から再決断療法に入って行かれたのですね?」

そうです。自分がどんどん楽になるためのものがあるんだと思って。カウンセリングを受けていくと、勉強もはかどるようになるし、対人関係の苦手意識もなくなって人付き合いが楽になってくるし、良いこと尽くめだったので、自分のためにどんどんのめり込んで行きました。

その時はまだカウンセラーになりたいとは思っていなかったんです。

「ご自分が楽になるという実感がおありだったのですね?」

かなり、ありました。それ以前は人が苦手だったので、お客さんと会うことがしんどかったんです。コンサルタント業というのは、企業の経営者や幹部社員と会わなければいけない仕事ですが、対人関係が苦手だったのでストレスが強かった。

強いストレスを頑張って克服していたという感じだったんですけれど、再決断療法に出会ってからは、辛さは随分減ったような気がしますね。今は人と会うのが全然楽ですもんね。


インタビュー写真


「そんな風にワークショップに出ることを何年位なさったのですか?」

6〜7年くらいやっていましたね。

「その後、カウンセリングをお仕事にされたのは、どういう経緯で?」

飲食業をスタートして2年目には従業員が150名くらいになっていたんですね。途中から結構大手の会社が複数社、出資してくれていたんです。そうやって急成長したけれど、最初の元手は自分の200万円なので、急成長したといっても借金だらけなんです。

2年過ぎた辺りから経営がうまくいかなくなって、店が火事になったり、いくつかの出来事が重なって、それから急激に経営状態が悪化して、黒字の店は多いのに資金繰りがうまくいかないという状態になって、4〜5年目には会社が無くなったんです。

「会社を閉じたということですか?」

閉じた、と言えば聞こえはいいのですが、事実上の倒産ですね。その時は4つほど会社がありましたけれど、そうなると全部連鎖倒産ですね。

「従業員も大勢いらっしゃるし、大変だったのではないですか?」

そうですね。本当に大変でしたね。給料だけは最後までちゃんと払いましたけれど、金融機関にはたくさん迷惑をかけました。10億とか、返しようがないような借金でしたから、もうどうしようもなかったですね。日経新聞に大きく倒産が載りました。

当時はいわゆるベンチャーのハシリというか、若手経営者ということで持てはやされて、日経新聞にコラムを寄稿したり、「青年実業家の24時間」というドキュメンタリーに出たり、経営者向けの講演会にあちこち呼ばれて行ったりと、ちょっと調子に乗ってた時期だったと思うんです。

その後しばらくは「ごめんなさい」ばかりだったんですけれど、それからやり始めたのがカウンセリングなんです。

「お一人で始められたのですか?」

それまでに勉強していた再決断療法の手法を使って、カウンセリング関係のスクールやカルチャーセンターで教えたり、自分で講座をしたりとか、そういうことを始めました。

「活動を始めて、最初はどんな感じだったのでしょうか?」

それが、瞬く間に広がったんですよ。最初は苦労した時代があって・・・と言いたいところですが、そうでもなくて。

「それは、どんな手法で広げていかれたのですか?」

ただ勉強したいという人がどんどん増えていったんです。最初はカルチャースクールのようなものからスタートして、瞬く間に勉強したいという人が周りに増えていきました。

福岡でやっていましたが、どんどん周りに人が集まってきて・・・。口コミであったり、セミナーをすると人が集まったりとかね。

「その時には『再決断療法』という名前は出していらしたのですか?」

出していました。

「では最初からスムーズに広がっていったのですね?」

そうです。どんどん広がっていったんです。

「そんなにスムーズに広がっていった理由は、先生としてはどうお考えですか?」

やはり、このようなやり方のカウンセリングが求められているんじゃないですかね。何となくそういう気がしてるんだけどなあ。

広がりが早かったですね。九州の専門学校を母体に、契約講師という形で教え始めたんですが、やり始めて3年くらいでその講座を受ける生徒さんが延べ300名くらいになりましたからね。5年目くらいには延べ1000名近くまで増えていました。

「最初はセミナーですか? ワークショップも並行してされていたのですか?」

ワークショップも並行してやっていました。講座に来た人達がどんどん希望してくださるので、ほぼ毎月のように開催していました。

「最初は九州で活動していらしたのですね。その後、本拠地を移されたのですか?」

東京に9年前に出てきました。それまではずっと九州で活動していました。

「先生は、心理療法の他のアプローチ法と、再決断療法はどこが特に違うと思われますか?」

問題を解決するというところに、かなり直線的に行くというところが違うなと思いますね。

(次回につづく・・)

倉成 央(くらなり ひろし)  メンタルサポート研究所代表
                  臨床心理士 メンタルヘルスコンサルタント

「再決断療法」の第一人者。
1963年、福岡生まれ。大学で経営学を学び、大手経営コンサルティング会社で経営コンサルタントとしての実務経験を積む。その後、大学院で臨床心理学を学び、臨床家としての実務経験を重ねる。現在は、経営コンサルタントと心理カウンセラーの両方の経験を活かし、精神科でのカウンセリングの傍ら、企業でメンタルヘルスの導入・定着に向けたコンサルティングや研修を行う。
日本心理学会、日本心理臨床学会、交流分析学会などに所属。

<倉成央先生のHP>
【倉成央 公式ウェブサイト】

<メンタルサポート研究所のHP>
【メンタルサポート研究所】

<倉成央先生の著書>
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震災の心の傷みを癒す方法


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うつにならない言葉の使い方


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いい人すぎて“結果が出せない人”のための問題解決術


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凹まない生き方

インタビュアー:鈴木明美(すずきあけみ)

鈴木明美

セラピールームChildren主催、NPO Oasis 代表
いろんな環境に自分を合わせて生きてきて、自分がなんだか分からない。
そんな、うつ病や心の悩みを抱えた方のお手伝いをしています。

心理カウンセラー、NLPセラピスト(ゲシュタルト、エリクソン催眠療法、
家族療法)、交流分析士1級、トランスパーソナル学会会員、レイキヒーラー
HP:江戸川区西葛西、セラピールームChildren
ブログ:セラピールームChildren


インタビュアー:川崎綾子(かわさきあやこ)

川崎綾子

ゲシュタルト・再決断@府中「座★すわろう会」で活動中。グループの中で
お互いにサポートを得ながら、自分らしく癒されるセラピーをしています。
ペンギン好き。趣味はバレエです。

GNJゲシュタルト療法トレーニングコース修了、日本ゲシュタルト療法学会会員
NPO再決断カウンセリングジャパン会員
矢野惣一問題解決セラピスト養成講座(上級)修了
レイキティーチャー


インタビュアー:脇坂奈央子(わきさかなおこ 日本メンタルサービス研究所 所長)

脇坂奈央子

『道開きの心理士』 ……本来のあなたの道を開く、お手伝いをします。
ブライアン・ワイス博士直伝の、プロフェッショナル・ヒプノセラピスト。
前世療法・催眠療法を中心に、ニーズに応じた各種心理セラピーを施療。

心理士、認定THP心理相談員、統合心理セラピスト、心理カウンセラー、
米国NGH認定ヒプノセラピスト、認定キャリアコンサルタント、
代替療法セラピスト(レイキティーチャー)
HP:ワイス博士直伝の前世療法・催眠療法・心理療法★ラポール
発行メルマガ:こころの栄養@さぱりメント

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