第60回目(1/4) 安部 朋子 先生 TA教育研究所

自分の思い込みから、病気になってしまった!

今回のインタビューは、TA教育研究所理事長、国際TA協会本部公認准教授の
安部朋子先生です。

アメリカのTA(Transactional Analysis:交流分析)の真髄を
日本に伝えることのできる数少ない講師でもあります。

人間ひとり一人がOKであること、全ての人が持つ素晴らしい能力と
無限に広がる人間の可能性について、TAを通して語っていただきました。

インタビュー写真

「小さい頃はどんなお子さんでしたか?」

上に姉がいて、次女なんです。実家が商売をしていたので、常にたくさんの大人達の中で、可愛がられながら育てられました。いつもそばに誰かがいるという環境でしたね。

「大学ではどういう分野を?」

もともと獣医になりたかったんです。親の大反対の中を受験したんですが、通りませんでした。親は浪人してもいいと言ってくれたんですが、そこで反発して。

たまたま高校生の時、夏休みに自費で短期留学をした経験があって、そこでお世話になった家族と文通を続けていました。それで、「アメリカ行く!」みたいな感じで手紙を書いたら、向こうの家族もウェルカムと言ってくださったので、大学はアメリカです。

高校を卒業して夏にはもう、行っていました。最初の半年は英語学校に行って、それからコミュニティカレッジで2年間、秘書学を学びました。2年半アメリカにいて戻って来ました。とても楽しかったんですけれど、もういいなって思ったんです。

「就職された時には、やりたいことはおありでしたか?」

それが別になくて。秘書学も、別に秘書になりたくて専攻した訳ではなく、消去法でこれだと役立つかなと文学士号(B.A.)を取ったんです。帰国して、「仕事どうしよう」と言っていたら、親のコネで仕事を紹介されて、反発しているのに親の言いなりになるっていう感じで、就職しました。

当時は何事も周りのせいにしていましたし、あまり仕事も長続きしなかったんです。それで、いつも上司が気に入らないと言っては辞めていました。

「その後、海外に?」

そうです。マスコミ関係や物販、飲食などの業種を経験しながら、最終的にドイツに行きたくなったんです。理由は、アメリカ留学中の大学で、第2外国語でドイツ語を取ったから。それだけでドイツに行きたいって思いました。

ドイツ語の授業は1年程度。だから当然話せるレベルじゃないんですけれど、でも「ドイツ行きたいな」と言っていました。これには周りも驚きまして、ドイツ語も話せないのにどうするんだ、みたいな反応でした。

それで、これも親の関係者なんですが、ある方が「自分の会社に来ないか」と言ってくださったんです。今から思うと大変失礼にも他に行くところもないので、嫌々その人に会ったんです。でも、その方と面談しているうちに、「この人のもとで働きたい!」と思ったんですね。

そうしてそこで働くと決めたことが、アメリカに行くことに繋がりました。だからその辺りまではどちらかというと、親への反発か、親のお膳立ての中で選んできた人生でなんですね。

「その会社に入ってすぐに渡米を?」

いいえ。当時はアメリカの離職率が非常に高くて、海外からの労働者は要らないという政策だったのです。働くには労働ビザが必要なので、いろいろ会社が手を尽くしてくださったけれど、ビザがなかなか下りなかったんです。

ビザを待っている間、1年半ほど大阪本社で勤めていました。宙ぶらりんの状態で働いている状況でしたので、もう行けないならいいやと、会社にも迷惑だろうからと退職願を出しました。

そうしたら、退職願を出した次の日の朝に、会社から電話があって、「ビザが取れたから帰ってきてください」と言われて。「うそ?!」みたいな感じで会社に戻って、そしてアメリカ行きが決定しました。

「アメリカでのお仕事はいかがでしたか?」

最初はとにかく英語で苦労しました。向こうに行ってびっくりしたのは、日本語でも、学生の時と就職した後とで言葉の使い方が違うじゃないですか。英語もやはりそうで、学生の時に使っていた英語と、就職してから使う英語は、私にとっては全然違うものでした。

本当に最初は雑用的な仕事しかできなかったのですが、2ヶ月くらい経った時に、ある男性が退職したのをきっかけに、いきなりその人がやっていた仕事を引き継ぐことになったんです。

その仕事というのは、営業、特に物流を担当しました。営業範囲が広かったことや、アメリカは国土が広く時差もあるので、時間との戦いでもありました。

近郊は訪問することもありましたが、ほとんど皆、電話で済ましました。ですから、いきなり朝から晩まで電話で営業、指示することになって、もちろん全て英語でね。もう死にそうになっていました。

「英語で営業を、ですよね?」

はい、もう全て。私が指示を出さないといけないポジションだったんです。当時は、ファックスはとても高価な通信手段でしたし、国際通信の多くは、テレックスというものを使っていた時代だったので、電話が主流でした。

当時現地の方は、一回言っただけできっちり仕事ができる人達ばかりかというとそうでもなく、「Aの仕事お願いしますね」と言って、何日か経って「Aの仕事大丈夫ですよね」と訊いたら、「はあ?」って言われることが沢山ありました。私の英語力の問題も大きかったとは思いますが。

だから、「Aの仕事頼みますね」と言ったら、何日か後にまた「頼みますね」と言って、当日には「今日ですよ」、今日が終わったら「できましたか?」って、その度に言わないといけない。

退社時間になると、もう音のない世界に行きたいって思っていたのを、鮮明に覚えています。英語の実力はそこでつきましたね。その後、いつの間にかジェネラルマネージャーになっていました。


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「その後、どういう経緯で日本に帰ることに?」

3年くらい経った時に、日本に帰りたいなって思ったんです。でも帰るためには、私の代わりになる人がいないとダメ。その当時アメリカ人のMBAが私の下に二人いたので、この人達を私の代わるジェネラルマネージャーにと思いました。

そこで、本社の社長に掛け合って、この二人のMBAの人達を順番に日本に長期出張させてほしいと言ったんです。それで、東京と、大阪で数か月ずつ暮らして、日本の商習慣や、どんな人達と仕事をしているのか、『日本』を体験させてほしいとお願いしました。

OKが出たので、二人に順番に日本に行ってもらい、彼らに「あの人」って言ったら、それぞれの名前と顔と性格が分かるような状況になり、日本本社とアメリカの拠点地での共有できる基盤を作りました。その後ようやく帰りますって言える状態になったんです。

それまで2年くらいかかったかな。そして帰国、大阪に戻ってきました。

ところが、あんなに日本に帰って来たかったのに、帰国したら、出社拒否症というか、体調を崩して会社に行けなくなったんです。

朝起きると腰痛、目の下にすごいクマ、とにかく毎朝二日酔いのような状態なんです。頭がクラクラして、腰が痛くて歩けない。それで、そのままベッドに戻る。会社にも行けません。

昼頃になったら少しはましになるけれど、でも出社するほどの元気はない。ずっとそれが続いて。自分の身体がどうなっているのか不安でした。

「それまではお元気だったのですよね?」

そうです。その時は本当に辛くて。気持ちは何とかしなくてはと思っていました。会社側も、「早く来て一緒に仕事しよう。待ってるよ」って、すごくポジティブに言ってくれるんですけれど、それに応えられない自分や、自分が理解できないイライラや不安がありました。

毎日、整体に通って、人に勧められていろいろな漢方薬を飲んだり、そんなことばかりしていました。辛い辛い数ヶ月でしたね。

その時に、当時、自己啓発セミナーが流行っていたんですが、整体の先生がそれに誘ってくださったんです。「治るんだったら何でもします」みたいな感じで、そのセミナーを受けました。

確か4日間コースだったと思うんですが、3日目くらいから、何か身体がしゃきっとしたんですよ。そして、これは面白いと思いました。

人って、怪我や骨折したりすると、血が出たり動けなかったりするけれど、そうでなくても自分の思い込みでも病気になるんだって気付きました。その3日くらいの間で、「わー! 人って不思議だ!」そして「とても繊細」って思いました。

このセミナーを体験して、「人間ってすごく繊細だし、すごくパワフルなんだ」って思ったんです。

これは今も私がTAをする中での基盤になっているんですが、本当に「人にはまだまだ使っていない能力と、限りない可能性があるんだ」って気づきました。

「そのセミナーで、具体的に何に気づかれたのですか?」

今振り返ってみれば、私は日本に帰りたいからいろいろなことをして、やっと日本に帰って来たのに、病気になってしまった。その謎が解けた感じでした。

その当時、私は30歳代前半で、年間十何億円の仕事の総責任者だったんですね。それは日本の本社では部長級の人達のポジションです。帰国を機に、私が日本に帰って、一緒に仕事をすることになるであろう人達は?私のポジションは?と自分で気づかずに妄想が始まっていたのですね。

心のどこかで、30歳そこそこの女性が本社に帰って来て何の仕事をするのだろう。50歳代の部長クラスの人と同じ席に着くことはないだろう。今からいったい何をするのか分からない。などなど、自分の中で「居場所がない」と、思い込んでしまったんですね。

会社は早く来て一緒に仕事しようと、とても優しいポジティブなことしか言っていないし、休んでる間もお給料をくださった。そこだけを見ても恵まれているんだけれど、自分の心の中で、「居場所がない」と思い込んでいたようです。

もうひとつ、実家に戻って来たんですが、自分の部屋が納戸みたいになっていたんです。6年間いなかったから仕方ないし、私が帰って来る時には整理もしてくれたんですが、やはりそこでも、きっとどこかで、思ってたような『自分の居場所』じゃないというのを、勝手に作ってたんだなと思います。

そうするともう、本当に居場所がないんですよね。そういう自分の思い込みに気づきました。

「勝手に思い込みを作ってしまった?」

はい、そうですね。私達の中にはいろいろな思い込みがあります。それが時折、大きな怪物のように変化し自分をがんじがらめにしてしまうことがあるようです。

例えば、親に小さい時にしてもらったいろんなことが、親は良かれと思っていても、小さい私達にとっては、気に入らなかったということがありますよね。欲しかったのに買ってもらえなかったものとか。

でも、当時の様子を時間を巻き戻してビデオのように見ることができたとしたら、欲しかった『それ』は手に入らなかったけれど、それに代わるものが一杯あったと思うんです。でも、それを買ってくれなかったから、親は私のこと嫌いなんだとか、そういう風に小さい時って思い込みが激しい。

それで、自分のことを軽視したり、親に反発したり、自分から住み難いようにしていたことが見えてきました。

セミナーを受けながら、幼い頃の親の一言はいろいろ影響するし、自分自身も勝手に理解しているし、面白いなと思ったんです。幼い頃の人間関係が大人の自分に及ぼすパワーというか、そういうのを考えたら、めちゃめちゃ人間って面白いなって思ったんです。

それで、1セントでも安く買って1セントでも高く売るとか、予算達成に全てを賭けていたような仕事から、「人間って面白い」っていう、決まり切った一つの答えのない、ひとりひとり異なるし、自分自身も今日の朝と夕方とで違うし、そういう世界にものすごく興味を持つようになったんです。

その自己啓発セミナーでいろいろ勉強させてもらって、当時は交流分析っていうセミナーもあって、それを何時間か学んで、面白いなと思ったのが、私が心理学と出会ったきっかけです。

「交流分析にも出会って、大きく心理学に魅かれた。その後はどうなさったのですか?」

結局、会社には戻らなかったですね。会社もいろいろ言ってくださったんですけど、結局は戻らなかったです。

その後は、友人達と自己啓発セミナーを新しく立ち上げて、経営陣の一人としてセミナーをやっていたんです。

「自己啓発セミナーを主催する側になったのですね?」

そうです。その自己啓発セミナーで何年間かトレーナーをしていました。自分ではその途中から「すごく奥深いものなのに、まだ知識と経験の浅い私がトレーナーと呼ばれるのはいかがなものか?」という葛藤も生まれ、辞めたいと思い始めていました。

経営陣の中に入っていたので、辞めるなんてそんな簡単じゃないだろうと言われて、しばらくの間、それを続けていたんですが、そのうちに子どもができたんですね。

「これを機会に辞めるより他にない!」と思って、会社に走って行って「子ども産むから辞めます!」って宣言。皆、もう「えええーーーっ?」です。それで無理やり退職。

その時点では心理学の勉強をまだ本格的には始めていないので「とりあえず元気な子どもを産みましょう」と思い、アメリカで産もうと思ったんです。

(次回につづく・・)

安部 朋子(あべ ともこ)  TA教育研究所理事長 国際TA協会本部公認准教授

米国での商社勤務を経験後、人間ひとり一人が持つ素晴らしい能力と無限に広がる可能性に感動。
TA(Transactional Analysis:交流分析)を学ぶ。
一般社会人向けのコミュニケーション講座やTAカウンセリング入門講座、保護者や教育にたずさわる人たちを対象に子育て学習会や講演会、TAを使ったリーダーシップ研修、社員教育の実施、専門学校での心理学の指導を行っている。
T.G.I.F.代表、大阪府キンダーカウンセラー

<安部朋子先生のHP>
【TA教育研究所】

<安部朋子先生の著書>
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ギスギスした人間関係をまーるくする心理学―エリック・バーンのTA


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ぎゅ〜っと抱きしめ子育て法

インタビュアー:鈴木明美(すずきあけみ)

鈴木明美

セラピールームChildren主催、NPO Oasis 代表
いろんな環境に自分を合わせて生きてきて、自分がなんだか分からない。
そんな、うつ病や心の悩みを抱えた方のお手伝いをしています。

心理カウンセラー、NLPセラピスト(ゲシュタルト、エリクソン催眠療法、
家族療法)、交流分析士1級、トランスパーソナル学会会員、レイキヒーラー
HP:江戸川区西葛西、セラピールームChildren
ブログ:セラピールームChildren


インタビュアー:村上友望(むらかみともみ)

村上友望

今は普通のOLをしながら、セラピストとして活躍できるよう勉強中です。
出会った方々の幸せな笑顔をサポート出来たらと思っています。

ヨーガセラピスト ソース公認ベーシックトレーナー
パステル和アートインストラクター ジュニア野菜ソムリエ
アロマテラピーアドバイザー キャンドルアーティスト
ブログ:http://ameblo.jp/ohisamakokoro/


インタビュアー:高橋梨恵(たかはしりえ)

高橋梨恵

「本当の自分を知り、自分らしさを発揮して生きること」
社会におけるこのテーマの実現を心理的側面からサポートするため
現在カウンセリングの勉強中です。
趣味は旅・自然にふれること。

社団法人 産業カウンセラー協会 会員
レイキヒーラー


インタビュアー:川崎綾子(かわさきあやこ)

川崎綾子

ゲシュタルト・再決断@府中「座★すわろう会」で活動中。グループの中で
お互いにサポートを得ながら、自分らしく癒されるセラピーをしています。
ペンギン好き。趣味はバレエです。

GNJゲシュタルト療法トレーニングコース修了、日本ゲシュタルト療法学会会員
NPO再決断カウンセリングジャパン会員
矢野惣一問題解決セラピスト養成講座(上級)修了
レイキティーチャー


インタビュアー:力武一世(りきたけかずよ)

OLの傍ら、物書き業をしています。
自身の価値観の変化から人生が激変し始めたことをきっかけに、
「人の心のありよう」に興味を持ち始めました。
心が変われば、現実が変わる。たくさんのセラピストの方々に
お会いするたび、それを実感しています。

ブログ:『たびとたびびと』
読んだ人の心が軽くやわらかくなるような文章で、
周囲の人たちを幸せにしていきたいと思います。


インタビュアー:脇坂奈央子(わきさかなおこ 日本メンタルサービス研究所 所長)

脇坂奈央子

『道開きの心理士』 ……本来のあなたの道を開く、お手伝いをします。
ブライアン・ワイス博士直伝の、プロフェッショナル・ヒプノセラピスト。
前世療法・催眠療法を中心に、ニーズに応じた各種心理セラピーを施療。

心理士、認定THP心理相談員、統合心理セラピスト、心理カウンセラー、
米国NGH認定ヒプノセラピスト、認定キャリアコンサルタント、
代替療法セラピスト(レイキティーチャー)
HP:ワイス博士直伝の前世療法・催眠療法・心理療法★ラポール
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