第36回目(1/4) 松本 久美子 先生 カウンセリングハウス・コンシェルジュ順子

歌舞伎町でとんとん拍子にNo.1になってしまって・・・

今回のインタビューは、「カウンセリングハウス・コンシェルジュ順子」室長の
松本 久美子(まつもと くみこ)先生です。

行列のできる人気カウンセラーとして、第一線で日々活躍なさるとともに、
日本インテグラル・カウンセリングスクールを立ち上げ、
「本物のカウンセラー」の育成にも尽力されていらっしゃいます。

「カウンセラーは、なりたいからと言ってなれる職業ではありません」とおっしゃる
先生から、「カウンセラーとしてのありかた」について、深いお話を伺いました。

インタビュー写真

「小さい頃はどんなお子さんでしたか?」

大人びた子でした。「大人と一緒に育てた」と親が言っているくらいですから。お坊さんと禅問答をするのが好きでした。哲学的なことに関心があり、今でも好きですね。

幼稚園の頃は外科医、小学校の頃は弁護士か、小説家になりたかったんです。

小さい頃、小児喘息とか蕁麻疹の体質で神経質でした。近所のお医者さんが一生懸命診てくれて、通院、入院も多かったので、お医者さんはいい仕事だと、子ども心に思っていました。

弁護士さんは、社会正義の仕事かなと思っていたので。小説家は、文を書くのが得意でしたから。よく小学校で作文か何か読まされたり・・・結構頭はいい方だったんですよね。

うちの母は、もう目が開かないうちから本を読んでくれていました。自ら本を開くような育てられ方をしました。うちの母は、一つテレビを見るとその人の気持ちを解説する人だったんですよ。ある意味、無意識の時代から心理学を身に付けているんですよね。

「お母様が最初の先生だった?」

みんなそうだと思うんですけれど、やっぱり家庭環境って人格形成に影響するので、そこの力って大きいと思いますよ。母親は心理学が好きで、世間が尺度だったり、自我の形成があまりなくて、自分が苦しい思いをするタイプの人でした。

テレビを見たり本を一緒に読むと、必ず感想をお互いに言っていたんです。感想を言って「そうなんだ」「こういうことも考えられるね」と話をしました。そういうところで鍛えられた思考の癖ってやっぱりありますね。今も自動的にそれが動いています。

一番インパクトが残っているのはブッダの時代のウサギの話なんです。

カースト制度のバラモンっていう最高位のお坊さんが、道に迷って食べ物がなくてフラフラになりながら森に入った時、動物達が出てきて「みんなでバラモンに食べ物を取って来ようよ」と、散り散りに食べ物を取って来ました。クマとかキツネとか…。

ウサギだけが食べ物を取れなかったので「火を起してください」と言って、自らがその火の中に入ったという話。あれの議論が一番印象に残っています。

「命は尊いけれども何かの犠牲の上に成り立っている命って何ものだ?」「私は絶対こんなバラモンにはならない!」と言ったんです。幼稚園に入る前くらいの頃ですよ。深く考える子どもでした。

「深く考え、自信もおありでしたか?」

憧れの的の進学校に行きたかったので、小さい頃からコツコツと努力はしていました。努力の結果って自分に自信をつけます。その高校に合格して、その達成感がひとつの自信になっていると思います。

高校生の頃は、授業に出ないで3年間図書館にいた生徒でした。心理学の本は、本棚の上から下まで読みました。哲学書はソクラテスから、ヤスパース、実存主義も読みました。そういう流れの中で、「人間探求って、何ものぞ」と考えていました。

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「大学では経済学に進まれた理由は?」

私の上の世代は学生運動の時代で、ヘルメットをかぶって「マルクス万歳!」でした。私達の時は、三無主義の時代になっていましたが、私の高校は学生運動が盛んだったこともあり、知りたくなったのです。とにかく好奇心旺盛でした。

資本主義の中で生きている私達にとって、資本主義の矛盾点を見た時に、共産主義宣言をしたカ−ル・マルクスの書籍を読んでやはりインパクトがありました。

マルクス経済学を詳しく学べるところが、東大か、立教大でした。北海道から東京に出てみたかったのもあって、立教大学の経済学部に行きました。

でも、大学に入ったら勉強もしましたが、授業料が高かったので、1年の終わり頃から歌舞伎町のクラブで働いちゃったんですよね。四畳半に住んでいましたが、東京の生活が成り立っていかないのでアルバイトの雑誌を見て働こうと思ったのです。

その頃、JALパック大学って言って、上智、青山、立教の時給が高かったんです。それで、歌舞伎町でホステスのアルバイトをしたら、結構向いてたんですね。とんとん拍子にbPになって…。

それで、大学を卒業して、そのままそのお店に就職しました。大学で一年の頃から内定をもらっていたのは私だけですね。

「学業とホステスのアルバイトの両立は、大変ではなかったですか?」

やり始めると、仕事も勉強も完璧主義のところがあって、とことん突き詰めちゃうんですよね。大変というよりは楽しかったです。楽しさって大変さの裏腹ですね。色々な人に会える楽しさもありましたし、「何でこんなに儲かるんだろう」とも思いました。

単位を所得して無事4年で大学を卒業して、卒業から35歳までホステスの仕事を続けました。

「辞めよう思われたきっかけは?」

バブルの狂気をまざまざと見ていますからね。1日50万円の給料とかね。どう考えてもおかしいでしょう? 冷静に判断することって重要ですよね。その頃、湾岸戦争が起こって、これはだめだと思いました。

それがひとつと、常に「自分の一生は、これでいいのだろうか?」って検証していました。結果は出ないんでしょうけれども。それで、別な道に進みたいと思って辞めました。

その後しばらくして、親しくしていた方の紹介で、中央競馬の馬主秘書をやりました。半年位で社長さんが亡くなってしまって、50頭程いた馬を整理しました。違う会社に移したりして、大変でした。調教師さんとの折衝とか、レース管理をしたり、4〜5年位やりました。

私には、そこから引き取った馬のペットが1頭、門別にいるんですよ。武豊さんが骨折した大事故の真後ろを走っていて巻き込まれた馬で…。引退して、余生を送る牧場に運んだら、ボスを蹴飛ばして自分がボスになろうとする、私に似てすごく気の強い馬です(笑)。

「今のお仕事に進まれたのは?」

40歳になってその仕事を辞めて、それで、インターネットで調べていたら、すぐ歩いて行けるところに、カウンセラー養成の専門学校があったので、半年行ってみたのがきっかけです。

食べられない職業だと友達から聞いていたので、通ったからやるというのではなかったんですけれど、入学前の面接で「就職紹介できるわよ」と言われたのに、卒業したら「就職じゃない、開業しか儲からないわよ」と言われて。それは「詐欺だろう」みたいな感じでしたね。

それが、スクール始めるきっかけにもなったんですけれど…。うちは正直に「就職紹介はできません」って、最初から言っています。

こういう経緯なので、お金は持っていたので、半年だけやってみようかと思って、自宅のマンションを使って開業ということで、スタートしました。

「もともとカウンセラーに興味があったのですか?」

うちの母親に内因性疾患があって、その対処の仕方が分からなかったので、学ぼうと思って行きました。でも、学んでいるうちに、頭に来ていました。「学びじゃないじゃない!」と。

「それでも開業してカウンセラーになろうと思われたのは、なぜですか?」

自分の年齢が40代で、歳が歳だったので、やってみようかと…。2005年1月に開業しました。
高校時代に哲学をやっていたので、「やれるんじゃないか」と思ってやりました。やりたいだけじゃ仕事っていうのは、成立しないですからね。

「『カウンセリングハウス Concierge順子』の順子というお名前は?」

源氏名です。学生時代からずっと使っているんです。『新宿の母』に付けてもらったんですよ。私は悩み事はなかったので、「源氏名付けてください」ってお願いして…。歌舞伎町で成功したので、これも成功するんじゃないかなと思いました。

「Concierge(コンシェルジュ)とされた意図は?」

コンシェルジュとは、ホテルのロビーにいる案内役です。フランス語専攻だったのでフランス語です。響きが綺麗と思ったのと、この言葉が流行るだろうと思ったので…。2004年の10月2日が卒業だったので、9月頃から考えていました。

その頃は、まだコンシェルジュは駅にもなかった頃なんですけれど、流行るだろうなと。勘です。『女性自身』でコンシェルジュ特集があったので出してもらいました。先取りです。

私自身がカウンセリングなのかどうなのか分かっていない…。心理療法をやっているわけではないし、学校で習ったものをやっているわけではないし、「カウンセリングって何ものなんだ」と考えて、あえて使いませんでした。

「相談室というニュアンスですか?」

道しるべも相談室も案内係も全部含めて、クライアントさんが先に進むためのものでありたいと思いました。案内してもらって、先に進むためのお手伝いですね。クッションとか、跳び箱の踏み台みたいな感じのイメージもあります。

               

(次回につづく・・)

松本 久美子(まつもと くみこ)  「コンシェルジュ順子」室長

  日本代替医療協会心療カウンセラー
  開業セミナー講師
  NPO法人 日本インテグラル・カウンセリング協会 理事長
  日本インテグラル・カウンセリングスクール 理事長

●カウンセリングハウス Concierge順子

Concierge順子は、こころの救急車です。

私は「貴方の大切な人生の心の相談室でありたい。」

そう願いを込めて「Concierge」(フランス語でコンシェルジュ)
そして、19歳から35歳までのセカンドネーム順子から
「Concierge順子」というカウンセリングルームを始める事にしました。
是非、貴方が貴方らしく生きる事の心理カウンセリングの
お手伝いを させて下さい。

ようこそConcierge 順子へ。
カウンセリングルーム・・・東京・新宿区(神楽坂)


■スクールコース・メニュー

    ●初級講座
    ●中級講座
    ●上級講座
    ●実学講座
    ●オプション講座
    ●開業セミナー講座

<松本久美子先生のHP>
【カウンセリングハウス Concierge順子】
<日本インテグラル・カウンセリングスクールのHP>
【日本インテグラル・カウンセリングスクール】

インタビュアー:下平沙千代

下平沙千代

ワクワクセラピー☆ソースで、一緒にワクワクしましょう!
日本一やさしい介護タクシー開業準備中です。賛助会員募集中!

ワクワクセラピー ソーストレーナー、NLPセラピスト
レイキヒーラー、導引養生功指導員、成年後見人講座受講中
トラベルヘルパー、ホームヘルパー2級、女性タクシードライバー
ブログ:『幸せを運ぶワクワクセラピー ソース』

インタビュアー:竹沢央保

竹沢央保

「思込解放カウンセラー」 または 「成幸の伝道師」
メールとスカイプを使ったカウンセリングをしています。
優しさと強さを兼ね備え、自分自身が幸せに生きることで、その波動で周りの
人も幸せにしていくという「上善は水の如し」的な生き方を目指しています。

趣味:音楽・映画鑑賞、ギター、読書、車、旅行
やってみたいこと:世界一周旅行
最近の興味:仏語、伊語、シャンソン・カンツォーネを歌うこと。
HP:メンタルサポートNow and then

インタビュアー:脇坂奈央子(わきさかなおこ 日本メンタルサービス研究所 所長)

脇坂奈央子

『道開きの心理士』 ……本来のあなたの道を開く、お手伝いをします。
ブライアン・ワイス博士直伝の、プロフェッショナル・ヒプノセラピスト。
前世療法・催眠療法を中心に、ニーズに応じた各種心理セラピーを施療。

心理士、認定THP心理相談員、統合心理セラピスト、心理カウンセラー、
米国NGH認定ヒプノセラピスト、認定キャリアコンサルタント、
代替療法セラピスト(レイキティーチャー)
HP:ワイス博士直伝の前世療法・催眠療法・心理療法★ラポール
発行メルマガ:こころの栄養@さぱりメント
 

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