当時から、ほら吹きでしたね(笑)。
戦時中で、まともな勉強をできる環境ではなく、学校を止めて父の農場を手伝っていました。その後、戦争が終わり復学しました。
休学していた都合で、同級生の中では、年齢が少し上でした。仲間の間ではお兄さんのような存在でしたね。
戦争直後の当時は「世の中が大きく変わる」と言われていました。
その中で私は、「労働者のように働いて、実業家のように暮らす」とほらを吹いていました。本当は、実業家がどんな暮しをしていたかなんて当時は知りませんでした。
でも、アメリカにはヘンリー・フォードという実業家がいるとか、趣味はヨーロッパの貴族のようでなくてはいけないとか、仲間を集めて話していました。
戦後の混乱期の中、そんな話をして仲間が勇気づけられて喜ぶ姿を見るのが嬉しかったのです。
「学校を卒業されてからは、どうされたのですか?」
農業大学で生化学を研究した後、早稲田の大学院の経済学研究科に入学して、マスター(修士)になりました。そのままドクターコース(博士課程)に行こうと思っていたのですが、たまたま求人募集で面白い広告を見つけてしまったのです。
いたずら半分で入社試験を受けたのですが、試験に通ってしまいました。
オリンパスに医療機器を納品していたアメリカのメーカー会社で、理系のバックグラウンドがある私にはちょうど良かったのです。給料が高いというのも魅力的でした(笑)。
「入社後、すぐに海外でお仕事をされたのですか?」
いいえ、その会社には10年間いたのですが、日本の事務所で仕事をしていました。
その後、秋田大学に医学部ができるということで、生化学を教えに行きました。秋田美人がいると思ったので(笑)。2年半ほどいました。秋田美人はいたのですが、残念ながら縁がなかったですね。
大学を辞めた後、アメリカに移住して現地の会社に就職しました。
その後は、日本の会社の代表を務めたり、外資系の会社に勤めたり、当時の日本人としては珍しく会社を転々としましたね。会社を移るたびに収入も上がりました。





