小さい頃は体が弱くて、ネガティブが服を来て歩いているような子でした。
運動神経も悪かったし、勉強も出来なかったし・・。
それでいてどこか人と違う自分でいたいのだけど、能力不足を感じていた・・、そんな子でした。
とにかく体が弱かったのと、手(作業)が遅かったです。だから図画工作の時間に2時間の時間内でできた記憶があまりありません。
その後、自分で自己探求をしている時に、「早くしなきゃいけない」という思いがいつも自分の中に焦燥感として存在している事に気がつきました。
それは自分が小さい頃出来ない事が多かったことが原因だったとわかりました。
世の中には、いわゆる何でも器用にできる子がいますよね。ちょっとこうやればうまく出来るとか、何か人よりも飛びぬけた事があるとか。そういう事が全くない子でした。
それは自分だけでなく、周りもそう思っていました。
同い年の従兄弟の子に、ヒロシ君という、頭が良くて凄く活発な子がいました。
その子と比べられて「ヒロシ君は将来、きっと出世する大人になるけど、まりちゃんはどうだろう〜?この子20になるまで生きられるのかしら〜?」というのが大体の親戚筋の評判でした。(笑)
「社会人になってからはいかがでしたか?」
最初は一般事務をしていました。
その頃は親との関係がうまく行っていなかったし、自分に自信がないし、仕事に対して全く期待が持てなくなっていました。
まずは、「早く働いて自立し、親から離れたい」という思いが強くありました。
けれど実際に働いてみると、「仕事は頑張りたい」という思いとは裏腹に、決められた組織の中で、何をどう頑張ってみても認められるという事もなく、しかもいくらやっても仕事が減りませんでした。
その上、上司は「女の人は結婚したら辞めればいいんじゃないの?」と言う考えの方でした。雇用均等法なんてある前でしたし、そういう閉鎖的な会社でしたから、先輩たちもみんな辞めていくという状態でした。
親から離れたいとは思っていましたが、地元の大阪を離れ、東京に行って一人暮らしをするという勇気もなく、何をどうしたらいいのか解からなくなっていました。
その頃はまだ20代前半でしたけど、当時の私にとっては年々歳を取る事がとにかく怖くて・・。
新しい新入社員が入ってきて「私の居場所はこの会社にはないのだ」と思った時、自律神経失調症になりました。
「その後はどうなったのですか?」
ありがちですけど、病院を転々として、色んな検査をしても、「どこも悪くない」と言われました。
最後は覚えていますけど、大阪に、ある大きな病院があったのです。その頃は何もわかりませんから、「病院は大きければ大きいほど安心だ」という間違った考えを持っていました。
専門家のお医者様もいるし、他に思い浮かばなかったので、そこの神経科に行ったのですが、おおよそ3分で見放されました。
「どこも悪くないですよ。薬も別に出す必要ないんじゃない?」と言われてしまって・・・。見捨てて頂いたお蔭で、薬漬けになる事もなく、入院生活に入る事もありませんでした。(笑)
「当時、その病気に対して周囲の理解はあったのですか?」
いいえ。そのような病気があることすらまわりは誰も知りません。「ちょっと頭おかしくなっちゃった?」という位ですから。
今となっては、その頃の体験は私の自慢です。でもその当時は本当に、毎日「生きていても仕方ない」とか、自分で「何をしているのだろう」と悩んでいました。周りの理解もない苦しい時でした。
そういう時には二重の苦しみがあります。一つは症状そのものの苦しみ、もう一つは人から理解されないという孤独の苦しみです。
カウンセラーが、症状そのものをうまくケアしていくには時間がかかるかもしれません。
けれど孤独という苦しみは、いいカウンセラーに出会うことができれば一瞬で解消するのです。
何故なら、カウンセラーから、「あなたは孤独じゃないですよ。あなたの症状は世界で唯一の症状ではなくて、解決の手段はあるし、あなたがしっかりとそこに向き合っていけば、その問題も改善していきますよ」と言ってもらえるからです。
「私はよくなりますか?」と聞いてくるクライアント(相談者)に対して、「一緒にがんばろう、大丈夫だから。」と寄り添ってくれる人がいるかどうか。
そういう人と出会うことができれば、クライアントは少なくとも孤独と言う苦しみからは解放されます。それから一緒にクライアントが抱えている問題に取り組んでいくわけです。
今でも「浮世先生は何処の出身ですか?」と聞かれた時は、「自律神経失調症の出身です!」」と答えています。(笑)






