勤めていた組織から独立して、2002年の末にバッチフラワーレメディ協会を設立しました。
昔からの生徒さんとか、このバッチフラワーを大切に思ってくださっている方たちから、「白石先生独自のものを作ってほしい」というお声をたくさんもらって、箱を作らせて頂いた感じです。
このバッチフラワーのことは、おそらく日本人の0.1%もまだ存在を知らないでしょう。その存在を皆さんにもっと知らせていきたいのです。
ニュースをはじめ、連日の報道を見ていると、この人がバッチフラワーを飲んでいたらとか、NLPを知っていればということが多々あります。
もちろん、それを使うか、使わないかの選択は本人の自由ですけれど、存在を知らない人の方が多いので、その存在だけでも知られる機会を増やしていきたいと考えています。
そのあたりはまさに社会貢献的な「協会」という感じですね。
はい。例えばホスピスのような施設とか、学校などでも、バッチフラワーを気軽に使えるようになるようにするとか、本当に必要な人に行き渡るようなシステムを作っていけたら素敵だと思いませんか?
そのためには資金がないと難しいということもありますので、徐々に会社としての体力をつけて、基盤を築いていきながら、社会貢献的な事業もやっていきたいのです。
就職した時に、今までなじんできた福祉的なものと、会社の商業的なものとのギャップを感じていたものですが、今ではそれを統合してバランスがとれた組織にしていきたいと思っています。
現在の事務所にはいつ引っ越されたのですか?
一昨年、株式会社にした時期に引っ越しました。それまでは三軒茶屋にある知人の20畳のマンションにいました。自分のセミナー等はそこでしていたのですが、その他のセミナーの時は毎回広い場所を借りなければなりません。
そこで、どこかに物件がないかということで、今度もまたNLPの手法を使って自分の要望をリストアップしました。前回20畳と書いて、実際には21畳がきたという体験があったので、今回は少し欲張りました(笑)。
リストには、45畳以上で、清潔なトイレが2つ以上、駅から5分以内で、自然や緑があって、人がきても癒されやすい、浄化されやすい、波動がいい場所等を書きました。他に、前回書き忘れたコンビニや郵便局が5分以内というのも書きました。
そうやって結局20個ぐらい書いたのですが、結局、駅から1-2分で、緑やお濠のある皇居から4分ぐらいの物件になりました。たまたま小学校の隣なので、桜の木などもあります。郵便局やコンビニは2分以内にありました。
セミナールームは45畳以上と書いたら、トイレを入れて60畳でした。トイレは2つあって、ウォシュレットもついていました。
今回も表参道の不動産屋さんにお願いしたのですが、前回と同じように、一番先に流してくれたFAXがここだったのです。
現在一緒に仕事している聖龍先生が、同じときにオフィスを移転するということで、一緒に探していたのですけれど、丁度1、2階と空いていたので、だったら、両方借りてしまえばということになりました。
私としてはかなりの金額だったのですが、私たちが入る前に、半年間空いていたので、オーナーも値下げをしたところでした。まだ私は会社を設立したばかりで、その査定もあったので、ひょっとしたら無理かなと思っていたのですが、なぜか会社と、個人保証でいいといわれました。
不動産屋さんが、「そんなこと普通は考えられない」と言っていたのですけれど。そういう不思議なこともあって、現在の場所を借りることができたのです。
世間や周囲の方の後押しもあって、成長の流れに乗られたのですね。
そうですね。ですが、毎回、その節目、節目の度に、「ああ、路頭に迷ったらどうしよう」などという経済的な不安とか、目立つ立場になっていくことで、人から叩かれる不安などと向き合ってきました。
でも、それを何とか乗り越えると、自分の器がその都度大きくなっていく気がするし、自分の芯がしっかりして、揺るがなくなってくるように思います。
もちろんチャレンジはありますけれども、「また成長のチャンスがきてくれたのだな」とも思えます。昔よりは、ゆとりをもって今度はどんなプレゼントがあるのかなとも、考えられるようになりました。
本の出版は、長い間温められていた夢だったと伺いましたが、出版まではどのように運んだのでしょうか?
本を出版したいと思ったのは、ずいぶん前なのですけれども、実現までは10年以上かかりました。
4年位前に行動を起こそうと思い、企画書をいくつか紹介してもらった出版社などに送ったりしたこともあります。
実際に出版社の社長に会って、出して下さるという話になったこともありますが、結局その時は時期ではなかったようですね。
そのときどんな本を出したいと思っていたのでしょう?
どういう本を出したいのか、何のためにどういう本を出したいのかを、やはりリストに書いて、手帳の中に入れて、いつも持ち歩いていたのですが・・・。
まず、手に取った人が癒されるような本にしたいというのがありました。もし、バッチフラワーがその場で手に入らなかったとしても、癒されたり、勇気付けられるようなメッセージを載せられたらいいなと思っていました。
そして、イラストや、花の写真が、カラーで盛り込まれたような、見てきれいで楽しい本にしたいと思っていました。また、困難を乗りこえて元気を取り戻し、自分の経験から人に光を伝えていき、それが最後には地球全体に広がるというパラパラ漫画も入れたいと思っていました。
さらに、バッチフラワーはまだ一般的にはあまり認知されていないということで、専門図書の出版社ではなくて、一般図書の出版社から出せたらいいとも願って書いていました。
具体的な出版社名は書いていなかったと思うのですが、実は今回の小学館は第一志望だったのです。ただ、徐々に「出る必要があれば、出るだろうし、出なくてもいいものだったら、出ないだろう」というぐらいの気持ちになってきていました。
何年か前から、英国の本部の方にも相談したりして、本の内容を書き溜めていたのですけども、この作業はとても楽しいものでした。
植物の情報を集めたりとか、バッチフラワー療法のことを書いたりというのは、自分が夢を探求していくプロセスで、こんなに楽しかったから、出版されなかったとしても、「まあいいか」とも感じていました。それでも、親しい人たちは、「そんなことはない、出してくださいよ」と言ってくれてはいましたけれど。
それが、どんなきっかけで動き出したのでしょう?
丁度、2年前にDomaniという雑誌の取材を受けたのです。
Domaniは小学館から発行されている雑誌なのですね。そのときはバッチフラワー療法の特集を2ページで組みたいということで、ライターの方と、カメラマン兼イラストレーターの方が来て下さいました。
そのライターの方に、この本の企画を渡したことから、展開が始まりました。それが実際に本が出版される1年前頃のことです。
急に動きがでてきましたね。
企画書は前から書いてあったので、それを持っていっていただいたのです。その1ヶ月後くらいに、小学館の編集部の方に、この企画のために、お会いしました。「あー、でもバッチフラワーというのは知名度が低いから、どうでしょうね。」とのことでした。
「それで、誰が使っていますか?」と聞かれて、「ベッカムの奥さんとか使っていますけれど。」といったら、「あー、ベッカムがメッセージを書いてくれたら、売れるのでしょうけどね」なんて、笑いながら話していて、「じゃあ、そのうち連絡しますね」と言われました。
連絡が来なかったので、この話はなくなったと思っていたのですが、去年5月に突然メールが来ました。「9月に本を出すとしたら、今からやらなければなりません」と書いてありました。え?とか思って(笑)。
結局6月末頃に出版が正式に決まり、構成などの打ち合わせをし、そのあと、1ヶ月くらいで全部書き直しをしました。書いたものをシンプルに、人に伝わりやすいように、中学生にでも理解できる本にしよう、ということで、編集の方と協力しながら書き直しをしたのです。
真夜中に編集の方から、「この部分がわかりません」とかいって、メールのやりとりや、電話で相談をしながらの作業が続きました。そうやって、お互いに徹夜を重ねながら、夏が終わる頃、原稿が完成しました。




